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鳥羽周作氏のこと

2年前のことだった。

このnoteで、とあるコンテストが開かれ、とある賞を頂いたことがある。

そのとき、審査員として僕のエッセイを選んでくれたのが、いま騒動の渦中にいる、あの鳥羽周作氏だった。

コンテストを受賞したとき、鳥羽周作氏について、僕はほとんど知らなかった。

調べてみると、最近メディアで注目が高まっている、人気シェフらしい。

そんな時代の寵児とも言える人が、たくさんの応募作品の中から、僕の作品を選んでくれた。

それが素直に嬉しかった。

やがて、noteで公式に受賞作品が発表されると、僕はTwitterで、自分の作品が受賞したことを報告した。

それも、あの鳥羽周作シェフが選んでくれたことを。

すると、フォロワーさんたちがお祝いのコメントをくれる中で、思わぬ人物からも、メッセージが届いた。

鳥羽周作氏本人だった。

すでにnoteの公式発表の中で、鳥羽周作氏のコメントは掲載されていた。

だから、あえて僕へ個別にメッセージを送らなくてはいけない理由は、何もなかったはずだ。

しかし、僕の嬉しそうなツイートを見つけたらしい鳥羽周作氏は、Twitterからもメッセージを届けてくれた。

それは、鳥羽周作氏らしいラフな文体の、とても短いメッセージだった。

そのメッセージを受け取ったとき、僕はこう思ったことを覚えている。

きっと鳥羽周作氏は、本当に僕の作品を読んでくれて、本当に「最高だった」と感じてくれたんだな、と。

ライターとして、好きなエッセイを書いても書いてもなかなか評価されず、自信を失いかけている時期でもあった。

だからこそ、鳥羽周作氏からの飾らないメッセージは、僕の心を勇気付けてくれることになったのだ。

地道に書き続けていれば、こんなふうに、僕の作品を「良い」と思ってくれる人もいるんだと。

もしかすると、コンテストを受賞したことと同じくらい、その鳥羽周作氏からのメッセージは、嬉しいものだったかもしれない。

……あれから2年が経ち、僕がいまも文章を書き続けているのは、あの日受け取ったメッセージのおかげも、ほんのちょっとはあるのだ。

その鳥羽周作氏をめぐって、いま騒がれている問題については、とくに言及したいことはない。

彼を擁護する気持ちはまったくないし、そもそもどうでもいいと思っている。

ただ、もし何かの成り行きで、彼がこの文章を読んでくれるとしたら、ひとつだけ、伝えておきたいことがある。

それは、言葉というものを大切にしてほしい、ということだ。

たった一言だったとしても、誰かを傷つけることもできれば、誰かを助けることもできるのが、言葉というものだ。

そして、その言葉は、やがて自分に返ってくる。

誰かに向けた拳は、自分を痛めつける拳として、誰かに差し出した手のひらは、自分を優しく包み込む手のひらとして。

あなたはかつて、ほんの短いけれど、でもまっすぐな言葉で、僕の心を救ってくれた。

鳥羽周作氏に伝えたいのは、そんなことくらいかもしれない。

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