特別な感動なんてないけれど。韓国・大邱を旅する理由
韓国に、大邱という街がある。
大邱はとくに何かがある街ではない。ソウルのように有名な観光名所もなければ、釜山のように美味しい海産物が味わえるわけでもない。
でも僕は、この大邱がとても好きだ。初めての韓国の旅で立ち寄って以来、この街になぜか惹かれて、それから何度も訪れている。実際、海外の街で最も多く訪れている街こそ、この大邱なのだ。
もちろん、会いたい誰かがいるわけではないし、行きつけのレストランだってとくにない。
ただ、ふと思い立つと大邱行きの安い航空券を買って、3~4日程度の旅に出ることを繰り返してきた。
大邱へ行ったからといって、何もすることはない。
空港へ着いたら、路線バスに乗って、街の中心へ出る。目に付いたお店で遅いお昼ご飯を食べて、地元の人々が行き交う街を夕方まで歩く。
暗くなった頃、予約したホテルにチェックインして、しばらく部屋でのんびり過ごす。
ようやくお腹が空いてきたら、夜の街へ出て、また適当なお店で夕ご飯を食べる。韓国風の居酒屋へ入ることもあれば、ファストフードで簡単に済ませることもある。
そして再び街をふらふら歩いて、ホテルへ帰り、1日が終わる。
次の日の朝は、ゆっくり起きる。ベッドでごろごろしながら、今日はどこへ行こうかと、スマホを手に考える。大邱で行きたい場所もないので、たいていは近郊の街へ行くことになる。
バスターミナルへ向かい、窓口でバスのチケットを買う。出発まで時間があれば、ターミナル内の食堂で、朝だか昼だかわからないご飯を食べる。
夕方になったら、また大邱へ帰ってきて、前日と同じように1日が過ぎていく。
そんなふうにして、あっという間に帰国の日が訪れるのだ。
どうして大邱がそんなに好きなのか、自分でもわからなかった。
でも海外へ自由に行けない今、大邱を旅する理由が、少し見えてきた気がする。
たぶん、海外の旅には、2種類あるのだ。
「どこかへ行くこと」を目的とした旅と、「ここから出ること」を目的とした旅だ。
行くか、出るか。それは同じようで、まったく違う種類の旅である。
「どこかへ行く旅」は、旅の基本形かもしれない。たとえば、ヨーロッパへ旅に出るときは、「ヨーロッパへ行きたい」という気持ちが少なからず存在するはずだ。
でも、人はときに「ここから出る旅」を求めることがある。すなわち、日常から離れるために、旅に出たくなるのだ。
仕事にちょっと行き詰まったとき、なんとなく周りに息苦しさを覚えたとき、毎日がなんだか色褪せて見えたとき……。
そんなとき、ほんのわずかの間でいいから、日常から離れて、非日常の世界へ旅に出たくなる。
だから旅先には、特別な何かを求めない。美しい絶景スポットもいらないし、刺激に満ちた体験も必要ない。
ふらっと気軽に行けて、気負わずに街歩きや食事ができて、またすぐに帰ってこられる場所なら、それだけでいい。
その理想を叶えてくれるのが、大邱という街なのだ。
大邱なら、思い立ったらすぐにでも行ける。観光名所めぐりに追われることもないし、日本とのギャップに疲れることもない。
それでいて大邱には、完全な非日常がある。ソウルや釜山と違って、日本語が聞こえることも少ない。街を歩いていると、解放されたような気持ちになれる。
きっと大邱は、僕にとっての逃げ場所なのだ。
日常に疲れたとき、そこから少し離れることで、自分をリセットさせてくれる。そしてまた前向きな気持ちになって、日常へと帰らせてくれる。そんな旅先こそ、大邱なのだ。
また海外へ自由に行ける日が来たら、旅に出たい街はたくさんある。見たい風景もあるし、憧れの世界遺産もある。それはもちろん、「どこかへ行く旅」だ。
でも僕には、「ここから出る旅」もやっぱり大切だ。その旅先が、韓国の大邱であることに変わりはない。
特別な感動なんてないけれど、そこを訪れるだけで、日々を生きる力をちょっとだけ貰える……。大邱は僕にとって、そんな旅を実現させてくれる、世界でたったひとつの街なのだから。
旅の素晴らしさを、これからも伝えていきたいと思っています。記事のシェアや、フォローもお待ちしております。スキを頂けるだけでも嬉しいです!