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会社を辞めたらこうなった〜3日目〜

4月6日、会社を辞めて3日目。

今日は目覚ましのおかげで8時起床。
日中は健康知識を入れるため、教科書を復讐して、まとめた。
夜からは友人達とたわいもない雑談をしていたらあっという間に時間が過ぎていた。

リモートワーク始まってからは、毎日誰かから電話がかかってきている。
人は「1人」では生きていけない、寂しさを感じる生き物なんだなと、今まで当たり前だった「みんながいる」という環境を失って改めて分かった気がする。
きっと、みんなも同じことを感じているから電話をかけるのかなと思った夜になった。

友達と話している中で「友達の幅」という話題が出たので今日のテーマにしてみる。

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「仕事を辞めたらこうなった〜3日目〜 『友達』」

私の友人は、性別も、年齢も、国籍もバラバラだ。
友達からは「友達の幅が広いの不思議。」と言われるが、そう言われる理由が分からなかった。

そもそも友人は個人であって性別とか、年齢とか、国籍で分けることはできない。
私はその人(個人)が好きだから友人としての付き合いが続いているし、上記の情報は付属品だと思っている。

が、話しているとみんなそうではないんだなということが分かってきた。
図で説明すると「友達」に対する考えの違いはこんな感じ。

友人の「友達」に対する考え方。
*「人間」を「友達」に置き換えて考えてください。
性別や年齢で区切っていくので、背景の違う友人がいるのが「不思議」と言われることに納得。

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私の「友達」に対する考え方。
*真ん中の水色が私だと思ってください。
まず分類がなく、私は様々な背景を持った個人と繋がっているだけ。
距離の違いはあるが、近くても遠くても、みんな友人。
最初は、私と繋がっているだけの1本の糸。
そこで、友人同士を集めて飲み会を開いたり、合いそうな人を繋げることで、横のつながりができ、コミュニティーを形成していく。

コミュニティー作りとは自分がクモになって、蜘蛛の巣を作っているようなものだなとたまに思うし、友達を繋ぐのが好きなのはクモ(私)がいなくなってもその場に残り続ける、強く美しい蜘蛛の巣になれば良いなと思うからだ。

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ツラツラと書いたけれど、今回「自分の当たり前」は「みんなの当たり前」ではないのだなと改めて思った。

「親しき中にも礼儀あり。」

よく知っている、親しい友達だからこそ「相手のことは分かっている」「私のことは分かってくれている」と思いがちだがそうではない。
自分の当たり前を押し付けず、相手のことをよく聞き、価値観や考えを尊重せねばと思った1日でした。

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