おやじの裏側 ii (2.オッパッピー)
オレは6人兄弟の家庭に生まれた。
生まれた家を見たことはない。 多分ないのだと思う。
生まれた家がS市にあることは間違いない。
何度かその近くまで行ったことがある。
おやじが毎年正月に、まるで正月行事であるかのように
オレたち子供を引き連れてS市まで行っていた。
オレが生まれた近くに当時の知人が住んでいたからだ。
オレの記憶の中には、その知人の客間(だと思うのだが)の様子が焼き付いている。
お金持ちだなぁ、と子供心に思ったものだ。
勿論実態はわからない。
オレは大人の会話に入ることはなかった。思い出などなかったからだ。
生まれたばかりで記憶があるわけがない。
そこでおばちゃんが、オレの前にお菓子の入った皿を出してくれる。ついでに雑誌を置いてくれたのだ。
『小学1年生』だったか、毎日新聞の小学生新聞だったか、その両方だったかも覚えていない。何度か行くうちに、記憶が重なってしまったのかもしれない。
どちらにしても、記憶がしっかりしているのは、外国の動物園の写真だ。
俺が住んでいた地域に動物園がある。何度か訪れたことがあるが、その写真に写っていた動物を見たことはない。
その動物は・・・、
”オッパッピー”ではない。
オカピ。
その雑誌か新聞に載っていた写真の動物の名前だ。
何故かはっきりと覚えている。
写真の映像と名前は、その時以来どうしても見たいという願望となっていた。
近くの動物園に行くと、家族には何も言わないでその動物を探し回った。
一度も見つけることは出来なかった。
みつけることができないはずだ。
世界中でも1901年に発見されたほどの新しい?動物なのだ。そのことをその家の読み物から知ることができたのだ。
だから、見たいという願望は余計に強く残った。
探せど探せど見つかるわけがない。
言い方を替えれば、国内では一度も見つけることができていない。
いや、本当は日本にもいるのだ。
1997年に、よこはま動物園に日本で初めて登場している。新聞やテレビでそのニュースを知った時、小躍りした。
いつか見に行くぞっ!
実はすでに目の前にしたことがある。
1970年、短期留学の途中立ち寄ったロサンジェルス滞在中に、兄が車でサンディエゴ動物園に連れて行ってくれたのだ。
それはまさしくオカピだった。幼少期に読んだ「小学1年生」に紹介されていた時のままの姿態であった。
現実に見たこともなかったはずなのに、オカピに再会したかのような錯覚を覚えた。
今ではネットでその動く映像を見ようと思えば見ることができる。しかし、長期間、会えるかどうかもわからない状態にあれば、それを求めて行動する原動力を生み出してくれる。
だから不便は便利なのである。
不便はアイディアを生み出す。
不便は満足を生み出し、希望の源泉となる。
オカピ、ありがとう!
完
*表紙の写真は、私のビーズアート作品からのもの
**この「おやじの裏側」シリーズは、必ずしも年代順に書いていくわけではありません。私の思いつくまま、恣意的な順番です)
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