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おやじの裏側 v ( 5. 母親には勝てない)

オレの母親はお茶目だ。
オレの母親は人見知りだ。
オレの母親は表裏一体だ。
オレの母親は(ここぞという時には)怖い。
 
怖い時の母親は、いつもと同じように冷静だ。
声を荒げたりなどは決してしない。
少なくとも、オレの手には負えない。
そんな時にしか、怖い対応はしてこない。
 
オレはこの事件を、そんなに詳しくは覚えていない。
この事件の発端をなかなか思い出せないのだ。
それなのに、事件は起こってしまった。 
母がいない今、
この事件のことを覚えているのはオレだけだ。
 
おやじからこの事件の話を聞いたことがない。
とすれば・・・母親は黙っていたに違いない。
母親がオレの悪さをおやじに黙っていたとは思えない。
あまりに度外れた事件だったから黙っていた可能性は否定できない。
 
この事件はオレの心の中に強くはっきりと焼き付けられた。
それは「許し」に関する記憶とつながっているからだ。
切っても切れない事件の記憶となっている。
  
オレは気が付いたら、手に100円を持っていた。
100円札だ。
その日は学校から帰ったら、
SG荘の部屋には誰もいなかった。
 
兄弟たちはまだ学校から帰っていなかった。
何故か母親もいなかったのだ。
おやじはきっと信徒の家を訪問していたのだろう。
 
オレが学校から帰った時に
部屋の真ん中付近には
いつものように小さなテーブルがあった。
しかも、運の悪いことに。。。
いや、運のいいことに。。。
いや、やはり、運の悪いことに
テーブルの端の方に100円札が乗っていたのだ。
 
オレの心の中に悪魔のささやきが・・・!
オレはその100円札を手にすると
外出をしたのである。
どこに行ったかというと・・・
近くの駄菓子屋に行ったのである。
 
今はその駄菓子屋はない。
その場所には電気屋さんが店をやっている。
同じ人ではないと思う。
当時、その駄菓子屋さんにはおばちゃんがいたからだ。
 
典型的な昭和の駄菓子屋さんのおばちゃんだ。
オレはくじ付きのキャラメルを買った覚えがある。
一つがいくらだったか覚えてはいない。
箱に入ったキャラメルではない。
バラで買うのだ。
一つずつ買って、皮をむく。
皮といってももちろん紙で包まれているのだ。
その紙をむくと、
「はずれ」か「あたり」と書かれた小さな厚紙が出てくる。
 
オレが中学生の時にも
同じようなくじ引きのキャラメルがあった。
その時は、2つで1円だったことを覚えている。
 
オレは、毎日のように帰宅後、その駄菓子屋に行った。
買ったお菓子は、SG荘のすぐ裏手にある小学校の敷地に入って
一人でむしゃむしゃ食べるのだ。
 
オレはこの小学校の生徒ではない。
SG荘に引っ越す前に住んでいた近くの小学校の生徒だ。
兄弟が通っているという理由で、
オレもその学校の児童となって
校区外通学をしていたのである。
 
お菓子の痕跡をなくすと、何食わぬ顔で帰宅だ。
 
「○○ちゃん、ここに置いてた100円、知らない?」
 
 
ついに来た!
覚悟はしていたけれど、ドキッとせざるを得ない。
 
「いや、知らない」
 
「確か、ここに置いていたんだけどね。困ったわ。」
 
オレは、知らない顔しかできない。
心の中では、残りのお金を早く使い切らないと。。。
という強い圧迫感があった。
 
外出だ。
駄菓子屋だ。
あれから1週間も経とうとしていた。
残りのお金で買えるだけの駄菓子を購入する。

裏の小学校の上に幼稚園がある。
その近くで、密かに駄菓子を食べる。
味もへったくれもない。

証拠隠滅だ。

胃の中が重くなる。
胃の中が膨れ上がり、心臓を押しつぶそうとする。
家に帰りづらい。
でも、帰るよりほかにない。
 
翌日の朝。
いつものようにみんなで学校へ出かける。
 
「○○ちゃん、ちょっと用事があるから。」
兄弟はオレを置いて校区外の小学校へ行く。
 
「○○ちゃん、ちょっとそこに座ってね」
優しいが断れない強い雰囲気が漂う。
 
お金のことだ。

予想通りだ。

何度聞かれても、オレはだんまり戦術だ。
黙秘権の行使だ。
当時、オレがそんな言葉を知るはずもない。
 
オレは追い詰められていく。
元々かなうわけがない。
ついに目から涙が噴き出す。
 
頃合いを見て、母親の「祈り」が始まる。
 
「かみさま、○○が家のお金を盗んでしまいました。お許しください。」
 
勿論、母の祈りの言葉を覚えてはいない。
 
祈りの最後が近づく。
 
「このお祈りを、イエス様のお名前によって御前におささげします。アーメン」
 
オレには「アーメン」とは言えない。

ずっと泣いていたのだ。
こういう時の「アーメン」は苦しい。
祈りの最後に言う決まり文句ではなくなっているからだ。
 
母親は、オレが「アーメン」と言うまで祈りの姿勢を崩さない。
同じ祈りが繰り返される。
 
オレは・・・きっと・・・30分くらい抵抗をしたはずだ。
 
「アーメン」
 
ついに抵抗力が全て消え去った。
 
学校はとっくの昔に始まっている時間だった。
 
母親はそんなことはお構いなしだ。
母親にとっての優先順位は、はっきりしていた。
学校に行かれなくても、ウソや盗みは解決しておかなければならないものだったからだ。
 
オレが「アーメン」と言った途端にあわただしくなった。
 
「今日は映画教室の日でしょ」
 
「今からなら間に合うから急ぎましょ」
 
オレは言いなりだ。
 
SG荘から急いで映画教室のある映画館を目指す。
SG荘の2階から真っすぐな階段を落ちそうになりながら、転がり下りる。
庭園を眺める暇などない。
またもや階段だ。ぐるっと回るように道路に通じる階段だ。
校区外だから始末におえない。
電話のない時代だから手におえない。
 
息が切れそうだ。
母親はまだ若いとはいえ、息遣いが荒い。
オレよりも母親の方が必死だったからだ。
 
はあはあ言いながら、映画館にたどり着いた。
 
ちょうど児童全員が席に着いた頃だ。

担任が出てくる。

母が事態を説明していた。

その間、オレは友達の好奇の的だ。

オレは映画館に入る直前に必死で顔の涙をぬぐった。
ハンカチなどと言うしゃれたものを持たない時代だ。
手がハンカチだ。
しゃくりあげるのがばれている。
友達が覗き込む。
担任が追い払う。
そしてオレを通路側の席に座らせる。
母親が何度も担任にお辞儀をしながら映画館を出て行った。
 
そのあとのことは全く覚えていない。
映画が何だったか、全く記憶にない。
映画館から学校に戻る頃は、オレは機嫌が直っていた。


  注:当時の映画教室とは、毎月第一月曜日の午前中に生徒全員が映画館まで行って映画を見るプログラムだ。これは高校生の時までずっと続いた。
 その一部は「あぁ、許すまじ原爆を&野ばら」で扱った。この記事のタイトルは、2つの映画のタイトルを使用した。
 他には「砂漠は生きている」「海底2万マイル」「24の瞳」「ローマの休日」「母を訪ねて三千里」などだ。
 毎月教室はあったのに、タイトルをなかなか思い出せない。 


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