タクシー乗り場 その3
文字数:6065字
まえがき
私はタクシーに乗るときは、隙を見せないようにするために緊張する。NHKのチコちゃんではないが「ボーっと生きてんじゃねぇぞ」の気持ちだ。
それは、すでに書いた「タクシー乗り場 その1ー2」でその意味が分かっていただけていると思っている。
乗ってから降りるまで、タクシーは何が起こるかわからないからこそ、案外ワクワクできるものなのだ。旅がワクワクする気持ちをもたらしてくれるのは、その先が見えているようで実は見えていないからなのだ。
私はそんなワクワク感を求めて一人旅を続けてきた。コロナが始まる前は・・・コロナは私を全くワクワクさせてはくれなかった。
1.病院
いつのことだったか、中学生を1か月のホームステイに引率した。
最初に滞在したのはサンフランシスコだった。
私はサンフランシスコが好きだ。
空港から滞在先までのバスからの景色はヨーロッパそのものなのだ。家々の屋根の色。同じ様相をした屋根の重なり。そして遠くに臨む海。どれをとっても異国情緒が健在なのだ。
その時の滞在先は、地域の大学の寮だ。食事は広いキャンパスを歩いてカフェテリアに集合するのだ。食後、薄暗いキャンパスを散策してみた。遠くにシカが歩いていたりする。それだけでも生徒は大喜びだ。奈良のシカどころではない野生のシカに感動しきりだ。
寮に戻ると、しばらくして私の元に連絡が来た。生徒の一人が発熱したのだ。
タクシーで病院へ連れて行ってもらう。生徒は女子だから女性の添乗員にお願いしたのだ。私は総司令官なので、彼らが戻るまで寝るわけにもいかない。
予想通り、なかなか戻ってこない。一応途中で電話連絡があって、ずっと待たされているということだ。
私にも経験がある。
1年間の留学に出かける前に交通事故で右ひざを痛めていた。水がたまるようになったのだ。行きつけの医者から、出発直前にその水をふっとい注射針で抜いてもらっていた。
留学中、一度だけ留学した大学の病院(保険に入ることが義務付けられていた)で診てもらうことにした。
患者はいそうにないのに、なかなか呼び込まれない。1時間ほど待たされた挙句に問診が5分程度で終わった。あとは薬を処方されただけだ。保険に入っていたのに薬代は自分での支払いだった。というわけで、留学中2度とその件で受診することはなかった。
そんな話を他の引率者とおしゃべりをしているうちに、生徒たちはそれぞれの居室に戻って眠ってしまった。
そんな状態になって、ようやく発熱の生徒が戻ってきた。
患者さんがいないのにずっと待たされたんですよ、と女性添乗員が報告してくれた。彼女もそんなことは珍しいことではないということだ。
ここでは、タクシーには乗ったが、タクシーの話にはならなかった。ま、これもいいのではと思い書いてみただけだ。
2.Washington DCのフロント
いつの旅だったか思い出せない。ワシントンDCでは私はいつもFBI本部近くにあるHotel Harringtonを宿泊場所と決めている。ホワイトハウスにも、国会議事堂にも、その周辺のスミソニアン美術館・博物館群へのアクセスは抜群なのだ。そのホテルにはせいぜい3泊くらいしかしない。
その年にはDCからロサンジェルスへ向かう予定だったように思う。誰か同行者がいたのか、それとも一人旅だったのか、全く思い出せない。
思い出せるのは、ホテルから空港までをタクシーで行こうとしている自分の姿だ。
朝早かった時間での出発だ。
記憶の中で、私はホテルのフロントのおじさんとおしゃべりをしている。タクシーを呼んでほしいと頼んでいたのだ。
フロント係は快く電話をしてくれた。
「少し時間がかかるようだよ」
まだ朝早い時間なので、他に客はいない。
フロントの持ち場を離れて、おじさんは私の近くに歩み寄る。
「君は日本人かい?」
などと話しかけてくる。
「DCに来る前は、どこに行ったんだい」
私はマンハッタンの話やナイアガラの話、ボストンではえらい目にあったことがあるんですよ、などと時間つぶしの会話だ。
こんなに話しかけてくるフロントの係は今までいなかったなぁ、などと別のことに思いが移る。
それにしても、なかなかタクシーが来ないなぁ、と話題に困り始めるフロントと私のふたりだ。
私はいつも早めに行動をするので、タクシーが遅くても困ることはない。もし早く来ても、空港で読書をすれば時間はあっという間に過ぎて行く。
30分くらい待ったような気がしたくらい長く待たされてしまった。
そして、タクシーがホテルの玄関前に滑り込んできた。
私はフロントのおじさんに丁寧に挨拶をして車に乗り込んだ。
朝早くのタクシーは気持ちよかった。晴れ晴れとした感じがした。
空港にはゆったりと安全に到着した。ドライバーにいつものようにチップを渡して、搭乗手続きが始まるまで過ごす待合所でいつものように文庫本を開いた。なくしても困らないようにブックオフで購入した100円のものだ。
待ち時間に読む本は、大抵マンハッタンやパリ、ロンドンと言った私が訪れたことのある場所にまつわる事件を扱ったものだ。
読みながら、自分が見た場所が出てくると事件の進み具合を空想しやすいのだ。あ~、あのあたりだな、とか、あのケーブルカーだな、などと思い出しながら刑事が乗り込む中に混じっていたりする。パトカーの走る場面では、そのパトカーを歩道から目で追っている気分になれるのだ。
そんなことを思いながら本を読んでいて、ふと「しまった」と現実に戻されるのだ。
あのフロントのおじさんにチップを渡さなかったっけ。だから、あんなに長い時間そばから離れなかったのか。申し訳なかったな。
おじさんがチップ目当てに一緒にタクシーを待っていたのかは、もちろんわからない。
密かにフロントおじさんにお詫びをした。
3.シカゴのタクシー
私が一年間のグラジュエイト(大学院)留学したのは、インディアナ州のTerre Haute(テレホート)という場所だ。
この留学の記録は「留学ってきつい、楽しい その2」で記事として詳細に書いた。
その中で書いたのだが、日本から留学先までいろいろ予想もしていなかったような事が起きて、ようやくキャンパスにたどり着いたのだった。
最後に使った交通機関が、シカゴオヘア空港からの15人乗りくらいのプロペラ機だ。生まれて初めての経験だ。のちに冬休みにテキサスからテレホートまで乗ったのもプロペラ機で、大嵐の中だったので恐怖体験となった。
と言うことで、留学が終わって帰国するときは、プロペラ機は避けて、グレイハウンドバスを利用することに決めていたのだ。
プロペラ機なら15分か20分のフライトだが、バスともなると6時間かけてダウンタウンシカゴに行き、その後、タクシーで2時間かけてオヘア空港に行くことになる。料金も飛行機よりはるかに高い値段となるのだ。
それでも今考えてみると、バスを使ったおかげでシカゴのダウンタウンでお昼の食事ができたし、ミシガン湖の姿を見ながらの旅をすることができたのだ。ミシガン湖畔ではヨットが数多く行き来していて得をした小さな旅気分だった。大きな重いスーツケースを持っていたので、ダウンタウン散策とはいかなかったが、にぎやかなバスターミナルの雰囲気を味わえたこともバスにしてよかったと思えたのである。
そのターミナルからタクシーに乗り込んだ。
黒人のドライバーで、勝手に機嫌がよかった。
頼みもしないのに、あそこが有名なシアーズタワーだぜ、などとガイドしてくれるのだ。確かにシアーズタワーは有名だ。シアーズは私にもなじみ深い。アメリカ中のショッピングモールの端っこを飾る百貨店だからだ。
それにしても、ガイドしてくれるのはいいが、タクシーの中は極めて大音量のにぎやかな音楽がずっと鳴り響き続けて、疲れている私にはたまらない気分だった。
「お客さんは日本人だろ?」
「俺は日本に一度でいいから行ってみたいんだぜ」
頼むから黙って運転してくれないかな!と言いたくなる。とにかく疲れていたのだ。留学の最後の場面でとんでもないことになっては困るので、ドライバーに黙れなどというクレームを言わないことにしていた。
ドライバーは私の機嫌を取ろうとしているのは明らかだった。私は心の中で、チップをたくさんもらおうとしているな、と勝手に思っていた。ラジカセを消して沈黙を守ってくれれば一番うれしい時間帯が、まさにこのタクシーに乗っている時間だった。
空港に着いた時には、それらから解放される嬉しさが全身に湧き上がってきた。
そして料金を支払った。
もちろん、トランクから40キロの重さにまでなったテキストや参考書、ノート類が収まっているスーツケースを下ろしてからのことだ。
私はスーツケースを引っ張って、さっさと空港の中に入っていった。うしろを振り返ると、ドライバーがめちゃくちゃ怒っている姿を見て怖かった思い出ができた。
タクシー代と、ドライバーが期待した半分にも満たないチップを渡していたのだ。
4.インディアナポリスでのタクシー
この話は、私が1年間の留学した時の出来事だ。だから、「留学ってきつい、楽しい その2」で書いていることだ。タクシーが主体にはなっていない。
1年で大学院の全てを終了しないといけなかったので、それは大変だった。それでも冬休みにはテキサスのアメリカ人家族と10年ぶりの再会をし、ヒューストンの会ったこともない家族と過ごすという体験をした。
11月前半頃にフライトチケットの予約をして、12月末に出かけたのだ。その顛末については「~~ その2」に詳述している。
その家族に電話をすると、大歓迎してくれそうな気配だった。何しろ1970年にミシガン大学で初めて出会った家族だ。偶然の出会いだ。
大学寮に入ってすぐに教会に電話を入れたのだ。そこの牧師から、私をピックアップする家族として紹介されていたのだった。
それ以来の再会だった。子供たちは成長していた。
インディアナポリスまでは、グレイハウンドバスだ。バス停は大学寮から徒歩10分くらいの近さだ。そこからは1時間だったか、2時間だったか思い出せない。
あの家族との再会に思いを馳せると、ドキドキワクワクした。
知人からグレイハウンドバスのターミナルではトイレに行かない方がいい、と忠告されていた。命の危険も覚悟しないといけないからだ。
それでも好奇心から、トイレに寄ってみた。ズボンのポケットには左右に各20ドルずつ現金を入れておいた。その知人のアドバイスだ。
インディアナポリスのバスターミナルは、マンハッタンのそれよりは小さかったが、デカかった。広かった。うろつきまわって空港行のバス停を探し回ったが見つからない。
仕方なく人に聞くことにした。
周りをキョロキョロ見回すがなかなか見つからない。人はたくさん歩いているが、狙いが定まらないのだ。
テキサス州を目指すので、あまり厚着はできない。私の記録を確認すると、出発1週間前のキャンパス地域の気温はマイナス13度となって、雪も30センチ近く積もっていた。それが運よくテキサスに向かう日は3度まで上がっていて、雪も薄く地面を覆う程度だった。しかし、セーター1枚の身としては寒すぎた。
と、そこへ一人のおばちゃんが上品で暖かそうなコートを着て私の斜め前をとことこ歩いてきた。
「すみません、空港行のバス停はどこにありますか」
私は咄嗟におばちゃんに聞いてみた。
おばちゃんは一瞬戸惑ったが、すぐに丁寧に説明してくれた。インディアナポリスまで来たのは初めてだったので、道順を聞いても頭の中に入らない。
雪のせいでバスなどが遅れたらいけないと思い、早目に寮を出発していたので時間はたっぷりあった。
「ついでだから、バス停までついて行くわ」
おばちゃんは説明が分からないかもしれないと思ったらしい。バス停まで連れて行ってくれたのだ。説明しづらいということが、行ってみて分かった。おばちゃんが付いてきてくれなかったら、きっと見つけることができなかったと思う。
このバス停の○○番のバスに乗ればいいのよ、と教えてくれたからもういいのに、おばちゃんはなかなかそこを離れようとしない。
「無事バスに乗れるように見ているわ。折角日本のような遠くからアメリカに来てくれたのに、バスに乗り間違えたりして楽しくない時間ができたら申し訳ないでしょ?」
と言うことで、その後おばちゃんは一時間近くもそこから離れられなくなったのだ。空港行の番号のバスが全く来てくれないのだ。私との会話も途絶えがちになってしまった。だんだん気まずい時間が増えて行くのだ。
そこにもう一人空港まで行く人が現れた。黒人男性で、バスのことを私に聞いてきたのだ。おばちゃんが教えてくれた通りに答えた。そして小一時間待ち続けたことを伝えた。彼は驚いた顔をしていた。
ちょうどその頃、私は我慢できなくなって、タクシーに乗ることを考え始めていた。
次に来たバスが空港行でなければ、タクシーで行こう、と心に決めた。
そして、次に来たバスは期待の番号のバスではなかった。
私はタクシーを止めることに決めた。
待っていたバス停近くをタクシーが来るのが見えた。そこで一歩前に進んでそのタクシーを止めようとした。
しかしその前にタクシーは止められてしまったのだ。失敗だ。いくらたっぷりの時間があるにしても、少し焦りだしていた。
「クリスマスプレゼントよ。このタクシーに乗って空港に行ってくださいね」
おばちゃんだ。
その手には紙幣が握られていた。
その紙幣は私の手に渡された。私が驚いて返そうとしたのだが、おばちゃんはもうその場を足早に急いで消えて行った。
名前だけでも聞いておくべきだった、という後悔が残った。今でもこの記事を書きながら新たに後悔の気持ちが湧いてきた。幸いまだ顔を覚えている。そして感謝の気持ちを伝えようとしている。
「君も一緒に行こう」
タクシーに乗るとき、例の黒人男性にも声をかけた。
「Thank You!」
「いや、礼を言うならさっきのおばちゃんに言ってください。タクシー代金をクリスマスプレゼントとしてくれたんだよ」
タクシーの中で、男性との会話は楽しかった。何を話したかは覚えていないが、ほんわかとした温かさが車内に充満していた。セーター1枚の寒さ対策ゼロの旅で体が小刻みに震えていた長い時間がぐんぐん温まって行ったのだ。
この時のタクシーのドライバーの名前や許可番号などは記録した覚えはない。怖さを忘れさせてくれる温かさがあったからだ。怖さを忘れさせてくれる同行者がいたからだ。フライトまでの時間が十分残っていた安堵感が心の中に満ちていたからだ。
完
タクシー乗り場 その4 に続く
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