どうしても、我慢できない。

目上の人への礼節。もっと言うと,権力者や資産家、地位や名誉のある人への礼儀礼節を大切に。

馬鹿かな?って思います。
なぜ、特定の、条件付きの、礼儀なの。

最近、いろんな話で、そう思うことが多いので、ここで吐き出す事にしました。
そう注目などされないし、そう多くの方の目には触れないでしょうから、「御目汚し」って言わなくても済むしね!

無礼や非礼って、全ての人やモノに対してしてはならないことです。
どれか特例を一つでも許すと、それは自分に対してそのような態度を取る人の然るべき理由となってしまうから。
だから、自分もやってはいけない。
のに。

日本の万物への尊敬や畏敬の念は、どうなったのでしょう。
全てに対して、儀礼を尽くすことは、すなわち、自分も大切な存在だと。
どんな人へも無礼や非礼は。どんな人も、無礼や非礼は許されない。
例え、それを「意図して」するなら、相応の覚悟を持ってするべきで。
そんなはずではなかった、自分よりも目下ならいい、自分より「下等」な人間やモノなら、、、こんな風な言い訳をするなんて、見苦しいことこの上ない。

どんな人も、そう、ナニモノデモナイヒトも、自分と同じく尊重し、敬意を表するべきなのです。
数字で押し測るなんて、寓の骨頂で。
ましてや、何かの括りでしか無い「ダレカ」が決めた「スゴイヤツ」なんて、別の角度から見たら「別にい」な程度のモノでしか無いわけで。
そういう尺度や条件でもって、優劣や「べき人」を決定するのは、本当に愚か。

私を大切にする。だから、あなたもあの人も大事にしなきゃならない。
それに反するなら、相応の覚悟や志を持って。
そう、それくらい、それって大切なこと。
みんな同じく靡いて、風が吹くから。ダレカがそうだって決めたからそれに賛成。
馬鹿なんだろうか。

自分を蔑ろにする、無礼で非礼なヤツの手は、跳ね除けていいんだわ。
それは自分が決めて。
その決定に関しては、誰にも非難できないこと。それが例え、巨大な力だったとしても。

ただ、理由が、「私にとって」理由がないなら、条件で人をみる下品なことはやめましょう。

最近、その圧と、選民の気配が大きくなってきているようで。
すごく、嫌なんです。
私はいい、軸があるから。でも、優しくて繊細な子供たちや、身動きが取れない人々を「無きモノ」として大切にしない流れは、到底理解しがたいし、許せないのです。


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