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小学一年生 教科書を揉む

私は教科書を揉んだことがある。

教科書を揉むとはどういうことかというと、読んで字のごとく教科書を物理的にもみもみすることだ。


小学一年生の秋のこと。

今日は一年に一度のワクワクの日だ。
新しい国語の教科書が配られたのだ

私の通っていた小学校では、国語や算数の教科書は上下巻に分かれていて、その下巻が配られたのだった。

確か、下巻の一番最初の単元は『くじらぐも』

真新しい教科書に真新しい単元
クラスにはまるで新学期のようにワクワク、新鮮な空気が漂っていた。

もうすぐ上巻が終わることに気がついた夏の終わりからゼロになったカウントダウン。
楽しみだったこの瞬間。
机の上には二冊の教科書。

入学してからずっと使ってきて年季の入った教科書と、
ピッカピカのシワひとつない綺麗な教科書。

新しい教科書かっこいい!

……そのはずだった、が。

綺麗すぎるこの教科書が、逆に落ち着かない!

みんなは新しい教科書に夢中なのに、私には古い、見慣れた教科書の方がずっと良いものに見えてきた。

なーんだ、新しい教科書って言ったってこんなもんか。

綺麗な教科書を、入学半年で少し汚れたランドセルにそーっと入れて家路につく、
シワにならないように慎重に。


家に帰って母に新しい教科書を見せてみる。母はこのつまらないサラの教科書にとびきりの笑顔を見せた。そして古い方は仕舞っておくようにと。


シワシワのお宝をしまう前に、もう一度二冊の教科書を並べてみる

この新しい教科書がシワシワに汚れるまで、どれくらいの月日がかかるのだろうか

気が遠くなった。
子供にとっての半年は途方もなく長いのだ。

そうだ、この教科書がシワシワに汚れるのが待てないなら、自分でしわをつけてしまえばいいんだ!

我ながら名案である。

こうして私は獲物を手にかけた
本を閉じた状態で本の背表紙と小口(開く方)を持ち、ひとおもいに…!


あの非常に満足感の高い瞬間を、私は21年間生きてきた中で、そう多くは知らない。




今でもたまに教科書を揉むことがある、
揉まなくてはいけない教科書がそこにあるとき、私は教科書を揉む。
教科書だけではなく、本も揉む。

ぜひご覧いただきたい、いかに本を揉むことが安心感につながるのか。

こちらが新品で購入した未だ揉んでいない本

一方こちらは中古で購入して、少し揉んだ本

お分かりいただけるだろうか
中古の方が少しカバーが波打っているのだ。


このクタッと感が欲しいのだよ!!!!!


このクタッと感が本への全ての遠慮をなくし、勉強効率を最高に高めてくれる

くたくたになった本に、私は容赦なく書き込みをする
大切だと思ったところに線をひいたりメモをしたり、角を折って印をつけたりする。
開きっぱなしにして寝る、起きてまた読む。

だから基本的にありふれた本は新品で買わない。

こんなふうに書き込みばかりなので、本を売るという形で手放すことが出来ないのが難儀だ。せめて鉛筆で書けばいいのに。

よく、「本がかわいそうだ」とか「本の神様に失礼だ」と言われることがある。しかし、わからない本をわからないままにしておくほうが本に対して申し訳なくないだろうか。

私は部屋も片付きすぎていていると落ち着かないし、おしゃれなカフェとか、スタバで勉強なんてできない。
本気の勉強は本や書類が積まれた部屋で、適当なスエットを着てやるものだ。
軽くアイデアを出したい時は、繁華街を散歩しながら、ヘッドホンでベースのうるさいロックを聞くくらいがちょうどいい。

本を揉むのも同じこと

もしあなたが電車で、
音楽を聴きながら、ペンを片手に年季の入った本を読んでいる女子大生を見かけたら
その人は私かもしれない、どうぞよしなに。

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