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人情の厚い病院1

人情が厚い病院…と言っても、これは過去の話です。

早速「残念」という話ですが、私も残念に思っていることです。


「仕事は楽しく」という言葉を聞くと、いまいちピンとこない人もいます。

私が就職したばかりの頃は90年代…とは言っても、私が就職した職場は人間関係が劣悪なところが多かったですが。。

当時は「仕事」と言えば「会社勤め」が当たり前の時代でしたが、それでも「仕事は楽しく」という価値観を持っている人は沢山いました。

今は会社勤めが奴隷のようで、個人で稼ぐ道を選んでいる人や、会社勤めよりもブログやYouTubeで稼いでしまっていることから脱サラして自由に人生を歩んでいる人もいます。

会社では上司に理不尽な扱いをされて社畜状態になるのは、上司が持つ昭和の価値観が悪いんだと今の若者の間で囁かれていますが、これって今の若者にはこのように目に映ると言えることなんです。

自分の親も昭和時代には既に社会人になっていましたが、父親を見る限り、仕事のストレスで精神的に滅入っている様子はとくになかったです。

強いて言うなら、バブル崩壊後、就職難の時代に入り始めた時に会社の経営が不振になった時に、精神的に不安定になっているようにうっすらと感じていました。

私がかつての職場で働いていた同僚達の中にも、昭和までとはいかなくても、バブル時代に就職した人達は「仕事は楽しく」をモットーに取り組んでいました。

なので、仕事中は笑いが絶えないということもありましたね。

これって、会社の経営者が変わると、二代目の経営者が方針転換をして全く違った方向性に変えられ、社員にとって働きにくい会社に豹変してしまったことを何度か目の当たりにしました。

確かに二代目の経営者が昭和の人間であることは事実です。

でも、一代目の経営者も昭和の人間。

その経営が長きに渡って成功に至っているのは、お客様の為、社員の為という考えがあって成功に至り、安定した収入へと繋がっているものと考えられます。

なので、今の会社みたいに「鶴の恩返し」状態で、自分の身を削ってまでも会社に犠牲を払い、何の労いもないものとは違うのです。

今の時代、変なクレーマーが多く、その対処にばかり囚われて余計な仕事が増えてしまい、会社自体がブラック化してしまうのですが、このようなトラブルに遭遇した際も、会社は社員を守るどころか責め立てることも少なくありません。

このようなギスギスした環境を持った職場が増えたのは、平成に入ってからなんですよ…っていう話。

それは、以前働いていた老舗の病院でも感じていたことでした。


待合室に入った時の安堵感



霊感だの波動だの、特に信じているわけではないのですが、ある田舎の病院に面接に行ったのが、東日本大震災が起こった約一週間後のことでした。


私は潔く、その前の職場を手放して、もっと気楽に仕事をしたいという気持ちがあったのですが、これでは生活費がやっていけないと思って、とにかく必死に就職先を探していました。

当時の不安や恐怖は只者ではありませんでしたよ。

早く就職して生活費を稼がないと、家賃や光熱費が払えないし、当時はガソリン不足によって車の燃料が確保出来ず、いつこの状態が続くのやらという状態でした。

とにかくネットで就職先を検索しまくって、面接は受けたものの、中々内定を頂けませんでした。

そんな中、ある県外にある病院で募集があったので応募をして面接という運びになりました。

自宅から車で約一時間かかるところに位置する病院でした。

その時は車に半分以上のガソリンが入っていたので、これは幸いでしたね。

田舎道を走り、面接先の病院に辿り着き、早速玄関から待合室に入りました。

不思議なことに、この病院の中に入った途端に安堵感があったのです。

大抵、病院の受付に入ると、外観は綺麗なものの、何処かピリピリした面持ちで業務を行うスタッフの姿を目の当たりにするのですが、当院ではスタッフの顔の表情が穏やかな印象がありました。

その病院の面接担当者は事務長が担っていました。

この事務長を見た時に一発で「人として出来ている人」と感じとりました。

それから当日中に内定の連絡をいただき、翌日は病院の近くにアパートを借りようと不動産屋に行くことになります。


入職初日


入職初日には朝礼がありました。たまたま、私の入職日が朝礼と一致したわけなのですが、この時は収入源が見つかって良かったという思いがありました。

この日、前任の総師長が定年退職により、新たに看護スタッフが院長から総師長に任命されました。

総師長というと「おっかない」だの「口煩い」イメージが強いのですが、その総師長に任命された看護師は優しそうな人。

内心「良かったぁ」でした。

朝礼が終わると前任スタッフから厨房スタッフを紹介されました。

厨房とは言っても給食委託会社のスタッフですが、みんな笑顔で受け容れてくれたのです。

(人間関係が良さそうなところで良かった…)

そのあとも、前任者から院内のスタッフの紹介を受けて、お互いに「よろしくお願いします」と挨拶を交わしました。

寧ろ、先輩スタッフの方から笑顔で「よろしくお願いします」と声をかけられるくらいです。


有難うの言葉が飛び交う

患者様の食べ終わったトレイを配膳車に戻したり、食事の記録をすると、病棟スタッフから「有難うございます」との声を必ずかけられます。

これまでの職場が人間関係が劣悪な職場だったがために、あまりにも天国過ぎて驚きです!

特別に感謝するようなこと…やったのかな?…と思う位ですが、ささやかな親切であっても、心から感謝するように「有難うございます」と声をかけられます。

前の職場では、現場のスタッフに助けが必要なことを報告すると、仏頂面で「そのままほっといて下さい」と塩対応されていたのですが、この病院では同じように報告すると「有難うございます」という返答が返ってきます。

普段から職員同士が「有難う」の言葉を掛け合ってるので、至るところで「有難うございます」の言葉が飛び交っていたのです。


人を差別しない

この病院のスタッフは気さくに話しかけてくれていました。

前に働いていた施設ではミールラウンドに行くと、介護スタッフが仏頂面で食事介助を行い、何となく近寄りがたい雰囲気でした。

しかし、当院ではミールラウンドに行くと、スタッフが気さくに話しかけてくれていました。

それは私を「一人の人間」として尊重するかのようにです。

このような人間関係に恵まれた職場だったら、長く勤められる筈なのにな…と当時は思っていましたね。


上に立つ人間が人格者

この病院のスタッフは本当に素晴らしいと感動するばかりでした。

まず、事務長が人間として優れた人だったのです。

その事務長は決して自分を飾らずに至って自然体であり、言動そのものもはつらつとしています。

従業員には自ら挨拶し、その挨拶で元気をもらいます。

部下に元気を与えてくれる上司って貴重な存在です。

従業員に対して平らであり、自分の好き嫌いで態度を大きく変えることはありありませんでした。

当院で一番権力を握っている(というと言い方が悪いのですが)のが院長であり、院長も立派な人格者でした。

時折、声をかけて下さってくれることがあり、そのお声掛けに温かみや安心感を感じるのです。

嫌な人間がいる時のあのピリピリした感覚とは正反対です。

このように「人格者」と言える人は自己肯定感を持ちつつも、他者も差別することなく与えることが出来る人です。

当院は昭和時代に設立された老舗の病院であり、創始者は当時の院長でした。

ここで色々書くと長くなってしまうのですが、この病院のモットーは「思い遣り」だったことだと思っています。

診療報酬の基準が厳しくなる中、「業務はシンプルイズベスト」で、医療とともに患者様の心を癒し、職員同士の人間関係も大切にしている…

だから、面接日に初めて来院した時の玄関を入った時のあの安堵感は、院内で感謝の言葉が飛び交っていたからだと思います。










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