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おじいちゃんの最期

前立腺癌を患ったおじいちゃんが亡くなった。骨への転移も発覚。抗がん剤治療から、緩和ケアに移行して3ヶ月ちょっと。死亡診断書の死因欄には、前立腺癌と新型コロナウイルス感染症と書かれた。

1週間前に、病院内で新型コロナウイルス感染者が発覚。3日前におじいちゃんの感染も発覚。昨日、吸入器を付けて自撮りした写真が共有され、今朝、亡くなった。一瞬だった。

本人は、新型コロナウイルスに感染していることを知らずに亡くなった。トレーに盛り付けされた、おいしそうとは言い難い食事の写真を送ってきていた。今日の差し入れで、りんごやらオレンジが送られる予定だった。叶わなかった。

もともと個室で緩和ケアを受けていた。院内を歩くことで、最低限の運動をしていた中、個室内での生活が強いられた。最後には、個室内のトイレも1人で行けなくなった。

昨日は、解熱剤を飲み落ち着いた。看護師さんからの連絡も、穏やかだった。そんな矢先の今朝。あっという間だった。

感染が発覚してから。おばあちゃんは、同意書にサインを求められた。陽性である限り、亡くなったら火葬場へ直行ですのサイン。言った通りになった。

私は、家族からの連絡に気付くのが遅れた。お昼休みに気付き、仕事を早退した。ポロポロ泣きながら、乗り継いだ。最寄り駅に着くと、区役所帰りの家族とタイミングが合い、火葬場へ迎えた。ちょっとでも遅かったら、私は何にも間に合わなかったらしい。

13時半。死亡診断書を受け取る。

14時半。火葬場へ到着。棺が車から運ばれる隙間で、手を合わせる。

15時半。骨を集める。5人までの人数制限。

16時半。骨になったおじいちゃんと家に帰る。

家族が間に合ってようと、間に合ってなかろうと。感染者の遺体は、待たれることなく火葬されるらしい。午後の火葬場の隙間時間に詰め込まれる。私たちは、たまたま家族6人集結できたが、遠目から眺めた3人の御遺体は、誰にも見送られずに火葬場へ入っていった。

骨を集めるのは、初めてだった。橋渡しがなぜ、ご法度なのか。初めて実感した。思ったよりも、黙々とした作業だった。ここまでが、ハイスピードすぎて作業にしかならなかった。ちょっとも休まる間もなく、骨で対面した。火葬場で対応してくれる人たち全員の所作が、とても綺麗だった。

誰も喪服を着ることもなく、見送った。私も、仕事に向かった時のままだった。全員、私服。ただ、それぞれの「らしさ」を持ったまま向き合えた。

帰りの車内では、訃報をどうするか話し合われた。葬儀は実質、済まされた。おじいちゃんは、すごい人だったらしい。たまに、友達伝手で「よろしくお伝えください」と言われる人だった。

元々、家族葬で済ませる予定だった。おじいちゃんの人脈を考えると、てんやわんやらしい。葬儀を済ませたと言っても、挨拶に来る方がいるだろうということで、しばらくは黙ることが決まった。

おじいちゃんは、洗礼を受けたキリスト教信者だった。戒名は必要ない。四十九日の文化もない。「最期にやっと、楽させてくれるわ」とおばあちゃんは言っていた。

帰りは、おじいちゃんとおばあちゃんを家に帰した。明日の朝、葬儀やさんが来るらしく、泊まる準備をして、家に向かい直した。ちょっとした祭壇が用意されるらしい。

当直明けの父は、自室。弟も自室。リビングに残された私は、またポロポロした。街中を通勤してきた私は、ずっとおじいちゃんに会わずに過ごしてきた。私の中の最後のおじいちゃんは、元気だった。

会社からは、特別休暇をもらった。体力的に疲れてきてた頃だった。おじいちゃんからもらったお休みだと思うことにする。



4月24日のおばあちゃんの誕生日に向けて。おじいちゃんが贈った、最初で最後の花束が訃報の直後に届いたらしい。「少しでも長く楽しめるように」と、謎の理由を元に4月22日を指定していた。

結婚してから、誕生日を祝われた覚えなんてないのに。

おじいちゃんは、おばあちゃんの誕生日を覚えていたらしい。祝わなかっただけで、毎年思い出してはいたんだな。

お祝いのメッセージと一緒に。今までの生活を振り返り、残りの生活にいかしますとのこと。おじいちゃんの最期が穏やかだったのか、誰も知らずに見送ってしまったけれど、どうか穏やかであって欲しいなと思います。



院内感染は、もうどうしようもないんだなと実感しました。個室にいても、感染してしまう。本当に仕方がない。最後のご飯も、満足に食べられないけど、仕方がない。

病院を出ることも、面会することもできない。入院する前に会っておくこともできない。

高齢者へのワクチン接種も儘ならない中、街中を通勤する私は簡単におばあちゃんには会えません。おばあちゃんが接種しても、私にワクチンが回ってくるのはまだまだ先でしょう。

「○○ちゃんに会いたいなぁ」

おじいちゃんの、去年の言葉が忘れられません。会わなかったことは、正解だけど、じゃあいつ会えたんだろう。最期まで、会えないことが本来の正解なのでしょう。でも、家族のこころの判断としては、なかなか正解とは思えない気がしてしまう。悔しいです。




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