学校指定「街の洋品店」としての電通の終わり
出版大手のKADOKAWAの幹部2名と、電通の幹部2名が、東京五輪のスポンサー選定をめぐり、贈収賄で逮捕された件について、例によって「私だからこそ」の視点で書いてみたいと思う
今回、KADOKAWA元専務で贈賄の容疑で、逮捕された芳原世幸さんは、私のリクルート時代の大先輩にあたる。
芳原さんは、誌面を作る「編集者」が出世しにくいリクルートの企業文化のなかでは、『カーセンサー』の創刊に携わり、その後、編集長となっただけでなく、海外旅行情報誌『エイビーロード』、結婚情報誌『ゼクシィ』、本の情報誌『ダ・ヴィンチ』、音楽情報誌『ザッピイ』などの編集長を歴任した、スター編集者・レジェンド編集者であり、2004年当時に、私が関わったR25創刊のときに、芳原さんの後輩にあたるFさん(私から見れば先輩)の紹介で、すでにリクルートの子会社としての「メディアファクトリー」の社長となっていた芳原さんのところに、新規メディアを創刊するにあたっての「心構え」的なお話を伺いに行った記憶がある。
また、収賄の容疑で逮捕された深見和政さんは、元電通雑誌局長だ。私は、2004年当時、リクルートから創刊されたフリーマガジン「R25」の版元側の広告営業担当として、その全広告スペースを買いきった電通雑誌局のオフィスの中に、半年ほど半常駐の形でデスクをもらっていたので、深見さんは、当時は雑誌局長ではなかったが(おそらく局次長くらいだったような気がするが)、オフィスの中で、すれ違っているくらいの可能性は高い。
つまり、私がこれから、語ることは、全くの中立公平な立場というよりは、ズブズブというほど濃くもないけど、全く無関係でもない、という立場から見た論評だと、冒頭にことわっておきたい。
まず、最初に私が指摘したいのは、私の推測に過ぎないが、今回の東京五輪の件で逮捕者となった、高橋さん、深見さん、芳原さんあたりにとって、主観的に「悪いことをしている」という認識は、おそらく、殆どなかったのではないだろうか?ということである。
もちろん、悪いことをしているという罪の認識がないから、ただちに無罪になるべきだと言いたいわけではない。ただ、誰も指摘しないであろう、逮捕者の側に立って、彼らの「内在的な論理」を私なりに推理し、解説し、私のnoteの読者の皆様には理解をしてほしい、というのが今回の私のこの文章の狙いだ。
もちろん、逮捕者の人たちも、未だに推定無罪で取り扱われるべきフェーズだし、一連の報道自体が東京地検からメディアへのリークに依存したものでしかない。それは前置きしたうえで、、もし、本当に今回の逮捕者が「悪人」だとしても、昔から「盗人にも三分の理」と、言うではないか。
その「三分の理」を解説してみたい誘惑に駆られて、この文章を書いている。
さて、東京五輪を開催し運営するには?となると突然、話が大きくなって、一般人の皆さんには縁遠いものになってしまうので、もっと身近な話に例えて説明しよう。
皆さんは、公立の小中学校や高校の制服や運動着が、地元の洋品店などから買うように、指定の業者が学校や教育委員会から指名され、そこでやたらと高い物品を買わされたという経験はないだろうか?
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