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一見、お金と遠いところにお金のヒントがある 〜「これからのお金の教科書」より

====10月22日にSBクリエイティブより発売された田端の新著====
『これからのお金の教科書 〜年収の伸びしろがケタ違いになる視点65~』からの抜粋です。 https://amzn.to/2HzPIq2
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きみは「お金」のことをいつもどれぐらい考えているでしょうか?
この本のテーマはお金ですから、この本を読んでいるということは、やはりそれなりにお金のことを考えていると言えるかもしれません。

ここで水を差すかもしれないことを言います。お金のことを考えるのはとても重要だけれども、実は、一見お金とは関係がないところにこそ、お金を増やし、大いにお金を稼ぐためのヒントがたくさんあるのです。

断言します。お金が大事だからといって、お金のことばかり考えていてもお金が増えることはない。この逆説、パラドックスに早く気づけるようになってください。

お金がない人は、いつもお金のことで頭がいっぱいです。次の給料日まで10日もあるのに、財布の中には3000円しかない。そうしたら単純に1日300円しか使えない。それならまだ良くて、もし1000円しかなければ、1日100円。どうやって生き延びるんだ、となってしまう。

そこにプラスして何かの支払いもしなくてはいけないとなったら、もう他のことは考える余裕がなくなります。
そういう状態に陥ってしまうと、つい、高金利で借金をしてしまったり、怪しい投資詐欺に引っかかったりしてしまう。さらにお金のことで苦労するようになる。

海で遭難し、漂流している人が、どうしようもなく喉が渇いて、水のことばかり考えてしまい、つい海水を飲んでしまい、ますます喉が渇くような状態です。

こうならないためには、お金に対して普通の距離感でいられる間に、お金から遠いところにある、お金を増やすためのヒントを見つけられるようになったほうがいい。

これは元ZOZOの前澤さんもいつも力説していました。「お金っていうのは追えば逃げるものなんだ」と。


ぼくから見れば前澤さんがお金を撒くのは、むしろそうすることで、よりたくさんのお金が戻ってくると確信しているからだと思います。実際、前澤さんがお金を使って何かするたびに、前澤さん個人のブランド価値は減るどころか上がっています。

この逆説も、わかる人とわからない人がいる。この感覚が「わかる気がする」と思ってくれるだけでも、その人にはお金儲けのセンスがあると思います。

きみは「縮小均衡」と「拡大均衡」という言葉を知っているでしょうか。これは経済学で出てくる考え方です。

縮小均衡とは、今後、収入が下がっていくことや増えないことを前提にして、節約をして出ていくお金を減らすことで、収支のバランスを取ることを言います。

一方の拡大均衡とは、収入も支出も、お金の出入りの両方をどんどん大きくしながら、出ていくお金がたとえ増えても、それに合わせて稼ぐ力も増やしてバランスを取っていくことを言います。

ほとんどの日本人は縮小均衡で考えます。それは、給料が会社に決められていて、自分ではコントロールできないと思いこんでいるからです。しかしそれではいつまでも稼ぐ力は身につきません。

お金のことを大事に考えたいなら、お金をどうやって節約するかばかり考えるのではなく、ときに他人から見れば割に合わないようなお金の使い方をあえてしてみることで、自分ならではの体験や学びを増やし、自分の器そのものを大きくすることを考えたほうがいい。

その差がやがて本当にお金の差となって表れてくるのです。

お金を「使う」のではなく「回す」
「お金は天下の回りもの」と言いますが、実に含蓄のある言葉です。あたり前の話ですが、お金が意識を持って勝手に動いているわけではない。お金を「これに使おう」と考えて、実際に使っている人間が回しているわけです。

だからこそ、回り回ってくるお金を受け取るためには、人間同士の交わり、お金の流れの中に身を置く必要があります。そして人間同士の交わりに身を置くということは、そのために自分も他の人へとお金を回す必要も、時としてあるわけです。

たとえば、無人島にいてお金持ちになれるはずがない。
もちろん、無人島でお金持ちになれずとも、幸せに暮らせる人もいるかもしれない。
ですが現実に無人島で一生を終えたいかというと、そういう人はいないと思います。

やっぱり、多くの人間は、誰か他に人間がいないと、自分一人だけでは何をやってもそれほど楽しくないからです。たとえリアルで他人と対面するのが嫌な人であっても、結局はツイッターなどのSNSを通じて画面の向こうにいる生身の人と交流し、楽しんでいるのは同じです。

そうして人間と人間の間を情報が回り、そこに喜怒哀楽が発生したりするからおもしろいわけです。それが価値となり、お金が巡っていることを、まさに「経済」というのです。

そういう意味で、人付き合いにまったく時間やお金といったコストをかけたくないという人がお金持ちになるのは、絶対に不可能とは言いませんが、かなり難しいはずです。

結婚式のご祝儀だってそうです。
これも出すのがもったいないという考えの人もいるけれど、誰からどれぐらいもらったか結構みんな覚えているものです。

そこでケチって「なんだ、アイツ本当はそんなに来たくなかったのかな? 呼んだのは迷惑だったか?」なんて思われることこそもったいない。それは実際にそう思われるかどうかとは別の問題です。

べつに芸能人でもないので何十万、何百万包むような話でもないでしょう。せいぜい数万の違いで、これから先の人間関係に影響を与えるリスクを負う必要はないということです。

このような話をしてきていますが、ぼくもものすごく気前が良いかはわかりません。
正直に言えば、「人付き合いの場でお金を出すことに、どんなときでも一瞬たりとも躊躇しない」というわけではないからです。

けれど「田端さんはケチだ」と思われるのはすごく嫌だし、それは結局のところ、損だと思うから、そこは意識してやっているのです。

たしかにきみが持っているそのお金を手に入れるためには、きみ自身の相応の努力や労力があったことだと思います。でも、もしお金持ちになりたいのなら、それにとらわれずに、気前良く人と付き合う必要があります。

きみに、こんなエピソードを紹介したいと思います。
昔、元都知事の石原慎太郎さんと作家の三島由紀夫が二人で飲む機会があったそうです。飲みながら、「男にとって最も大切なものは何か」という話になった。

それをお互いに手のひらに書いて、せーので一斉に見せ合おうと手を開いたら、二人とも「自己犠牲」と書いてあった。それでお互いに、ますます意気投合して飲み明かしたという話があるのですが、その話を聞いたときに、ぼくは、「なるほどな!」と膝を打つ思いがしました。

結局、「お金をたくさん稼いだりして、より多くの資源を持っている人間がなぜ偉いのか? 尊敬されてしかるべきなのか?」といえば、その人は、そうでない人よりも、より他人のために、その人なりの自己犠牲ができる余力があるからなのです。

「自己犠牲」というと、言葉としてはキツくて今の時代には嫌がられるかもしれない。でも、前澤さんがお金をばら撒くのだって一種の自己犠牲です。それができるから、ますますお金持ちになってしまう。

ネットで炎上する定番の話題に、男女のデートにおける割り勘論争がありますが、ぼくは男性がデートのご飯代を出すという行為は、いちばんささやかな自己犠牲だと思う。

一部の女性が奢らない男性を嫌うのは、結局それぐらいの自己犠牲もしない男がいざというときに自分を守ってくれるわけがないと思うからでしょう。

どれだけその人がお金を持っていても、他人のためにお金を使えない、自己犠牲ができない人に対して、周りの人もその人のために自己犠牲しようとは絶対思いません。

突き詰めて言えば、ビジネスをするということは、他人の力を良くも悪くも利用させてもらうことです。

だからこそ、まずその人が自分から自己犠牲できる姿勢を見せないと、好循環の歯車の一回転目が回らない。

お金が人々の間をめぐり回って、その場にいる人間を以前より、少しでもお金持ちにするためには、まず誰かが1人目になって、身銭を切ってお金を回そうと、ちょっとの自己犠牲や、ささやかな冒険を始めることがとても重要なのです。

==10月22日にSBクリエイティブより発売された田端の新著==
『これからのお金の教科書 〜年収の伸びしろがケタ違いになる視点65~』からの抜粋です。 https://amzn.to/2HzPIq2

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