見出し画像

記憶の窓

最初の場所には、もう最初の面影がない。

広場にたくさん繁っていた枇杷の木も、太田のおばちゃんも、長南さんも、優しかった人は皆どこかへいってしまった。

こんなに建物は多く、整然としていたか。駐輪場はひっそりとしていたか。道は滑らかに舗装されていたか。全く記憶がない。懐かしさは全て消えてしまい、そこにあるのはただただ現在の人々の生活の気配である。

磨りガラスの向こうは暗く、人の気配はしない。ただ、洗濯バサミで干されたゴム手袋、台布巾などがうっすらみえる。レモン色の公民館のカーテンはしまっていた。

そびえ立つ給水塔やフェンスに囲まれた受水槽は、いつ見ても厳めしい。

ベランダには誰かの布団が綺麗に並べられて干されている。

共同水場は整理され、ホースは蛇口の周りに綺麗に巻かれている。雑然とした印象を、努めて排除しようとしているようでもある。

子供のいない公園は、ブランコもジャングルジムもただの置物でしかない。誰にとっても何の意味も果たさない、のっぺらぼうの空間だ。くたびれた団地の集合地帯には、自転車や自動車ばかりが置き去りにされて、誰もいない。そんな場所を取り残すようにして、風景は今でも動き続ける。

近代的な造りの大型マンション。巨大な駐車場を備えたホームセンター、それから、唐突に出現する空き地。

そして平成の終りに完成した新しい公団。

中を歩いてみると、まるで未来都市を思わせるような二色塗装の建物。白い場所は白く、そうでない場所はセピアのレンガだ。三角の屋根や、アーチを描いた模様がギリシャなどのヨーロッパ建築を思わせた。

八方に高層住宅が立ち並び、切り取られたように浮かぶ空は寒々しいほどに白く曇っている。緩やかにカーブする遊歩道の脇で刈り込まれた植え込みが茂り、植木は開花のタイミングを鋭敏に測っている。広場の地面には幾何学的なラインが引かれ何かの魔方陣を思わせる。

高さ制限のついた駐車場。その奥は暗くひっそりとしている。


舗装されたアスファルトの道を、固くて冷たい灰色の道を一人で歩いている。並木の小枝は全て綺麗に刈り込まれていて、電線の張り巡らされた空は寒々と曇っている。道はすぐに交差点で他の道と交わり、戸建てやアパートの集積の向こうに、いくつかタワーマンションが見えた。

「ほら見て、あそこに20階建てのマンションが建つんだって」

平成という耳慣れない年号が始まって間もない頃。母は、私に何か途方もなくすごい事が起きるかのようにそう言った。

寂れた公団や古い民家ばかりが立ち並ぶ小さなその町では、二十階建てでも、話題の中心になるには十分だった。

その町は私が生まれた年に開通したJR沿線の駅になった事で、あの頃から少しずつ変わり始めていて、それは、川と川に挟まれた中洲の、古くは士族や財力のある商人が妾を囲っておくための秘密の場所として、それからは国の保護に頼って住む年寄や障害者ばかりの見放された土地が、ついに経済の投機の対象に選ばれ始めたということだった。

一坪いくらが数千倍になったとか、あそこに土地を持っていた人間は随分と良い思いをしたとか、妬み嫉みの存分に交じった話を、私は大人から幾度となく聞かされる事になる。

母はその町に住む人間を一人残らず忌み嫌い、一日も早くここから抜け出したいと朝に夕にこぼしていたが、今思えば私の家族はあの場所で豊かさに焦がれていた頃が一番幸せだったのかもしれない。

街を挟む二つの河川はいつでも暗く淀んでいて、ただ静かに流れていた。その 底は思ったより深くて流れが早いとか、ヌシみたいに巨大な魚がいるとか、雨の日に風船のように膨れ上がったドザエモンが上がったとか、そこにまつわる話しは色々聞くものの、私にとってはいつでも暗く生臭いだけの人工河川だった。

小3の時、ツッキーというクラスメイトが例の二十階建てマンションの最上階に住むことになって、私は喜び勇んで、他の何人かの友人とツッキーの家へ遊びに行ったのだが、今でも印象に残っているのは、そのマンションの廊下の、異常なほどの静けさだった。

その空間の、一体何に不安を覚えたのかは当然その時は分からなかったのだが、私は直感的にそこにいたくない、一秒でも早く他の場所に行きたいと思った。

オートロック付きのマンションの内部はセキュリティが完備され、各戸はシリンダー錠で施錠され、それによって生まれていたのは、外部から閉じられ、密閉された、限りなく透明でクリアな空間だった。

薄暗くてひんやりしていて、まるで冷蔵庫のなかにいるみたいだと思った。安心で安全で何でもあるけど、何故か真綿で首を絞められるように、徐々に酸欠していくような、そんな感じ。

とにもかくにも、その後にツッキーの家のベランダから街の景色や、遠くに見える池袋のサンシャインや富士山を見せてもらったが、はしゃぐ友達とは対照的に、私はずっと落ち着かない、説明のつかないような不安な気分に襲われ続けていた。

近所の歩道には猫や犬の糞が至るところに落ちていた。日にさらされた糞は誰にも処理されずカラカラに干からび、数日経つと白い黴のようなものがはえている。特に、写真の階段を降りて左側の歩道に糞がやたら集中しており、それが犬の飼い主による放置だったのか、野良猫による集合的無意識的なコンセンサスだったのか、今になって少し気になる。

駐車場でもよく猫が死んでいた。特に誰が処理するでもなくこちらも放置されたままで、長期間に渡って猫の死骸が縁石の隅に横たわっている。
夏などになるとその匂いが酷く、ウジが繁殖して辺り一帯すごい事になり、目も当てられない状況だったが、死に逝く猫の体が、少しずつ原型を失っていく様は少し興味深くもあり、私はそれを確認するためだけにその場を定期的に訪れたりしていた。

ある時、駐輪場の隅にアブラ蝉のはねが落ちていた。それをそのままにしておくとどう変化していくのか、ふと気になった私は、そのままにしておく。

夏が過ぎ秋が来て、冬になって春になる。また夏が来ても相変わらずその羽は同じ場所にあり、どうしてこれは一向になくならないのかといつも不思議だった。

また秋になり、冬が来てそれから春になってもそれはずっとそこにあったような気がするが、だんだん記憶が定かではなくなってくる。それがそこにあって当たり前の、他の風景と完全に同化してしまってからは、私はすっかりそれを観察する事を辞めてしまったのだ。いつの間にか羽はなくなっていた気もするが、「なくなった」という事を認識した記憶すらない。あれは一体どこに行ったんだろう。いつの間になくなったのか、それとも興味をなくしたのか、蝉のはねがいつどのように消えたのか知らない。

ガラクタのような記憶が道には染みついている。それはあまりにもとりとめがなさすぎて、何か教訓を得たり、意味を付与する事はできない。ただそこでそういう事があった。それだけだ。本当にそういうしかない。

例えば建物と自転車置き場の間にある狭い通路、ここで妹は缶詰めの蓋で指を深く切った。さらに言うと、近所のおばあちゃんが外そうとして余計深く刺さった。

敷地内の私道でよくローラーブレードをした。姉はいつも私より速い。私などは速く走ろうとするとほとんど細かく走る感じになってしまうのだが、運動が得意だった姉は一歩で長い距離を進む。

そういう話しは、無理にこねくり回しても、何のエピソードとも繋がっていかない。私のようについつい話を作りたがる性分の人間からすれば、ガラクタの様なものだが、しかし生きてるうちにあるのはたいがいガラクタばかりで、人生なんてガラクタの寄せ集めなのかもしれない。

一階に通じる入り口の五段しかない階段。ここで誰かが転んでそのままでんぐり返しになった。誰だったかは覚えていないのだが、でんぐり返ってから泣くまでの一部始終を鮮明に覚えている。

知らない年上の男の子に廊下で太股を空気銃で撃たれた。試しに撃っていいかと聞かれたのだが、嫌だと言えない空気だった。
じわりと広がる痛みで私が自分の腿を抑えていると、その子は急に優しくなって、ごめんね、とか大丈夫だった?などと聞いた後に、誰にも言わないでね、と懇願するように言った。

夕方の廊下はいつも暗くて怖かった。オバケに追いかけられるような想像をしてしまい、全速力で自分の家の玄関まで走った。イメージの中のオバケは、粘土で作ったような平たく横長の顔で大きな口をがばがばさせながら追いかけてくる。

そんなイメージだからだろうか、セサミストリートに出てくる彼らが私は怖かった。英語と言う訳のわからない言葉をむにゃむにゃと操る事も一つの要因である。

ベランダの向かいには小さな会社があって、入り口にレンガ色の段差があって、よく入り口の階段に複数の大人達が座り込み談笑したり酒盛りをしていた。楽しそうな大人達を見る度に自分も早く大人になりたいと思ったものだが、大人になるとどうにも子供の時代からまたやり直したい、そんな風に思ってしまう。

団地の中にある給水塔。入れないように鉄柵が張り巡らされている。興味があるのでその周辺で遊ぶ。ドロケイ、だるまさんが転んだ、氷鬼。雪の日に近所の高校生のお兄ちゃん達に大きな雪だるまをもらい、それをかまくらにした。何かをつくるのは何と楽しかっただろう。しかしそれも目を離した隙に誰かが壊してしまった。

ナカハタ兄弟という近所で有名な兄弟がいた。野球が飛び抜けて上手く、父親が休日に遊歩道でキャッチボールをさせていた。その雰囲気は朗らかさとは程遠く、真剣そのものだった。

弟の大ちゃんは私と同い年で、その放つボールは真っ直ぐで鋭く、グローブに収まると弾けるようないい音を辺りに響かせた。お兄ちゃんの球はさらに速く鋭い。彼らのうちどちらかは野球選手になれただろうか。

彼らにまつわる最後の記憶は、彼らのお母さんが乳がんで片方の乳房を切り取ったという事である。

「大ちゃんのお母さんね、片っぽのおっぱい取っちゃったんだって」とキッチンでタバコを吸いながら母は言っていた。

一体、そんな話をして、母は私からどんな感想を引き出したかったんだろう。

今はなくなってしまったみたいだが、団地の中にビワの木が生えていた。丁度石垣の上にしなだれかかるように実がなっていて、よく塀の上によじ登って取ろうとした。

ある時、ブルーシートをしいて団地の大人がビワの実をその上に落とした。どうしてそうなったのか理由を知らない。自由に食べていいことになっていて、熟れているものを選んで皮を剥いて食べる。
程よい甘さとごろっとした大きな種。

まぐまぐと果肉の部分をむさぼりながら見た空が、一体何時くらいだったのか、少しクリーミーな色をしていたのをこの時は覚えている

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?