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青島中国人民解放軍海軍博物館参観レポート③

次は第二展庁、
改革開放と社会主義現代化建設の新時期です。

中央ホールの彫刻とでかい液晶画面、空母と戦闘機が見える。改装は三階ですごいデカい。

党の第11期中央委員会第3回全体会議は、改革開放と社会主義現代化建設の新しい時期を開いた。平和と発展が時代のテーマとなり、我が国が改革開放に入った歴史的条件の下で、人民海軍は党と国家事業の発展の歴史的過程に従い、鄧小平理論、「三つの代表」の重要な思想と科学的発展観を深く貫徹し、党の軍隊に対する絶対的な指導を堅持し、新時期の軍事戦略方針を貫徹し、地域海軍から外洋海軍へ発展するという戦略的要求に基づき、全面的な建設を強化し、核心となる軍事能力を高め、水中弾道弾や空母を戦列に加え、戦略的、総合的、国際的な軍種に徐々に発展し、国家主権を効果的に守り、国家の海洋利益を守り、多種の安全上の脅威に対応し、多様な軍事任務を遂行することができる現代的な海上戦力を完成させた。

鄧小平の強大で現代化戦闘能力を持った海軍を建設しようという題字。

国家が改革開放へ進む中で鄧小平思想の導きのもと、国家の発展の大局を見据えて国防の現代化、科学化が展開され、国家の海上主権と権益を守る有力な力へと成長した。

鄧小平による題字と双眼鏡。

1979年7月29日鄧小平は、重要講話にて
思想を解放し、正しい方向へ向かう。人民海軍は党の決めた方針、路線、政策を徹底して貫徹するべきで、各方面の反乱を抑え、人民海軍の優良な伝統を復活させ、大量の歴史の遺物の問題を解決して、内部の団結を強化して、安定した局面を形成し、仕事の重点を現代化の正しい軌道に乗せることに置くことを指示した。
前年の1978年に行われた党の第十一回大会三中全会において改革開放の路線が決定され、中国の社会主義建設は新しい段階に入った。

文革における軍内の乱れに対して、心理を基準とした乱れをただす大討論が行われたほか、三年の党内粛清が敢行され、文革幹部が除去された。

政治の学習文献と党内の粛清の学習文献。

当時の勲章。

思想教育の展開、四化(革命化、組織の若返り化、知識化、専業化)及び、軍事だけではなく民間でも働ける人材の育成を目指した。

海軍の事業を熱愛する共産党員褒章と精神文明建設の先進分子記念章。

基礎建設の強化、艦艇、島嶼、飛行場などの基礎設備の強化、ミサイルなどの先端装備の試験、副業の農業生産の発展などを行った。1988年に南標463艦は十六回南沙諸島で重要任務を遂行して2度二等功として表彰され、五度三等功として表彰された。この間の党委員会は全国先進基礎党支部として表彰された。

中央軍事拡大会議の要求により予算の圧縮が行われ、上海基地及び6個の対空基地が閉鎖され、老朽艦艇が退役し、人員が整理され、合理化された新しい体制の下で新しい装備へと更新されていった。
1984年6月4日には、国家の現代化建設の下で人民海軍に求められるものも変わり、人民海軍は国家の沿岸海軍の要請のもと戦略を確定し、体制を調整した。機構が精悍で実力があり指揮の働きが良く、装備が精良で訓練に励み、反応が早く、効率が高く、戦闘力が精兵の目標にかなう強大で現代化された戦闘能力を持つ海軍の建設を指示された。

1986年海軍第二航空機学校を基礎として海軍士官学校を建設することが決定され、海軍建設にとって重要な士官の育成が図られた。同年には海軍政治学校も組織された。
1983年3月9日には、海軍の12の研究単位を基礎として、統一的な海軍の装備研究センターが組織され、海軍の新型の武器装備の研究と性能試験が行われるようになった。

科学研究センターの発行している雑誌の創刊号と沿岸警備艇、抜錨機。

研究した錨と証書。

気象観測装置など。

魚雷、対艦ミサイル、対潜迫撃砲など。

ミサイルの模型。

潜水艦の模型と072型大型揚陸艦三番艦紫金山艦のネームプレート。
中国自主建造の初めての近代的な揚陸艦である。78年から95年までにかけて7隻が建造され、現在は一隻を残してみな退役している。紫金山は2020年に退役。

航空機の近代化とそれの部品。

航空機関係の機械や誘導のために使う手持ち看板。

近海防衛戦略の実行。86年の12月26日に人民解放軍海軍第六回党代表大会が北京で開かれ、今世紀末までに具体的な現代戦闘能力を持った人民海軍を建設することが決議された。
20世紀80年代中期、中央軍事委員会の定めた積極防御の方針を海軍は貫徹することとし、国家の安全保障と海上の複雑な形成を帯びており、それを海軍の現代化建設の実際の水準に照らして、近海防衛戦略を提出した。海軍の近海防衛戦略は、海軍の軍事思想、戦略戦術、教育と訓練、後方勤務などの各方面で巨大な指導とけん引作用をもたらした。

飾り付けられた潜水艦と列島線へ出撃する駆逐艦隊。

軍事訓練の水準が新しい目標を突破した。
原子力潜水艦のネームプレートと模擬訓練とスクランブルの写真。

原子力潜水艦の制服と盾。および観測装置。

原子力潜水艦の初航行を伝える新聞とワッペン。および命令書。

陸上と連携しての原子力潜水艦の運用訓練は成功したものの、ある原子力船士官の副機械長が冷却装備の故障の修理中に放射線を浴びすぎて放射線疾患で死亡。

1979年6月10から24日にかけて初めての海上燃料補給に成功。1980年の3月30日には潜水艦部隊が海軍の最大作戦半径での航行試験に成功した。

海上燃料補給装置の部品

X615艦の模型、今の905型総合補給艦中国第一世代の海上補給艦で燃料、水、物資などの補給を海上にて行うことができる。

船の窓型の展示、魚雷の発射成功や、艦艇へのヘリコプター着艦成功などを展示してある。

1980年には潜水印培養訓練で205メートルまで潜水士世界記録を打ち立て、81年にはそれを1m伸ばした。1980年11月8日には南沙諸島において海軍航空隊が巡回訓練、偵察訓練、急襲訓練を行った。

当時の潜水部隊の装備。

406号艇、092型原子力潜水艦で深度500メートルちょっとまで先行するという功績を立てた。

水中発射型弾道弾の水密幕

潜水艦英雄の絵画と模型。1982年10月に潜水艦発射型弾道弾の発射に成功した。

対艦ロケットの模型。

長城200号潜水艦と盾に積まれている弾道弾。

弾道弾の発射板。

防波堤の建設。原子力潜水艦のために新基地が建設された。

西沙諸島で大型艦基地の建設。

施行現場。

1985年にソ連のAn-12をもとにしたY-8が配備された。87年には中国初の自主建造訓練艦鄭和が就役、88年に機雷敷設艦遼陽が就役89年には中国自主建造のミサイル駆逐艦が就役するなど、海軍の近代化が進んでいった。

南沙諸島の守備隊の絵画、いつの間にか迷彩が07迷彩になってる。

海上国境を守り、主権を守る。1984年の鄧小平と海軍艦艇指揮官との写真。南沙・西沙諸島、中越戦争では海上国境紛争も起こっており、愛国、愛島、生涯哨戒兵の精神のもと軍民共同一致して西沙諸島を防衛した。

西沙諸島の永興飛行場の模型、日本では地味だが、中国では南沙だけでなく西沙諸島も国境紛争で有名で重要視されている。

島嶼防衛の記念メダル。

海島を熱愛する模範の戦士褒章。

西沙諸島の防衛記念章。

南充艦の参戦員証明名簿。

西沙諸島の監視小屋と戦士のレリーフ。

鷹潭艦対艦砲撃南充艦の宣誓場面の写真。

功績表彰大会。

ネームプレートとかストップウォッチとか名簿とか。

島嶼の陸戦隊の武器。

南沙精神と、各岩礁ごとの旗や標識。

無反動砲。

南沙諸島の防衛隊と記念品、宿舎の模型など。

こんな監視所で働くのは大変そうだ。

武器、水筒や集合写真。

当時の階級章、襟章、帽章。私は軍隊における階級制に反対である。

政治指導員と技術職で襟章は異なる。

災害救助でも活躍、山西省晋城における1985年10月の炭鉱事故で15名の炭鉱夫を救出するなど、陸上でも活躍した。

1983年の台風被害では800名の大衆を救うために7人が殉職し、85年には嶗山での洪水で100名の観光客を第一航空機学校の生徒が救助して、7名の学生が表彰された。

1988年の浙江省での洪水や、89年8月12日の石油タンク火災などで、20隻の船と18機の飛行機車両210台、2728名の軍人が参加して消火した。

深海探索、南太平洋でのロケット通過の支援、人工衛星の追跡任務、南極探索、南アジアのパキスタン・スリランカ・バングラデシュの訪問を行った。

海軍の87式制服案。そんなに今までと変わらない。

南極の石(ぶれてる)

勲章類と補給艦の絵ハガキ。

合肥艦のネームプレートと記念盾。

党の第十三回大会四中全会以降、今までの守る海軍から勝てる海軍へ転換し、部隊の統合作戦能力を全面的に高めることを決定した。

江沢民の題字、
強大な統合作戦能力があり現代化された海軍を建設するために奮闘しよう。という指示、鄧小平時代も終わり、いよいよ江沢民時代、この題字は1999年のものなのでいよいよ21世紀に入ってきます。

江沢民の海軍閲兵風景とその時使った双眼鏡。

三つの代表重要思想を基礎として、愛国貢献、革命人生観などの精神教育や、人民海軍はとうに忠実などの教育が行われた。

党の定めた三つの代表の重要思想を学習し、宣誓し、合格点を出せるような政治教育が行われた。
四つの教育(愛国奉献・革命人生観・幹部を尊重し兵士を愛する・刻苦奮闘)と三講(学習・政治・人間の正しい意気・気風)などの学習が行われた。

勝つことのできる、変質しない大討論の展開。現代戦争の状況下において勝つことができ、人民の軍隊としての本質を変えないという大討論が行われた。社会主義の信念教育、人民の軍隊は党に忠実などの教育、新型の装備に適応した人材の育成建設も推進した。
基礎をしっかりつかむ建設が行われ、政治上合格し、軍事は硬く、作風は優良で、規律は厳命、力が保証されている基礎組織の建設が目指されて、普段の建設の自覚と先を争って優秀さを創る活動を展開した。

1995年10月14日江沢民は青島において海軍部隊を閲兵した。

当時のヘリ、艦船、魚雷、陸戦隊装備。

艦艇と魚雷など。

81式小銃と軽機関銃。

77式12ミリ対空砲。

85式狙撃銃と56c式小銃。

1995年9月2日から10月22日まで、青島沖において新装備を集めて海上実弾演習が行われ、最終日近くに江沢民が閲兵した。この訓練において新装備の実力が実証された。

1996年の2月から3月にかけて行われた三軍合同上陸演習。台湾の独立勢力をけん制し、国家の主権を守る装備を自主開発できることが実証された。

江沢民の2000年12月の閲兵。
上陸訓練の写真。

建国記念日式典に参加した海軍軍人たちの記章など。

団体競技の優勝プレートと個人のメダルや証明書。

新型科学技術を生かした大練兵や空中給油、ヘリを生かした海上人命救助、潜水艦対抗訓練などが行われた。

当時の海軍軍服。国旗と軍旗。

037-II型ミサイル艇ネームシップ陽江艇、香港駐留部隊に配備された。

1997年7月1日0時より香港が返還され、香港防衛任務が始まるので専用の艦隊を組み、駐香港部隊は香港へ赴いた。上はその写真である。

海軍航空隊の装備と教科書類。

海軍防空部隊の褒章と、ブッシュ大統領への手紙。
海南島事件(かいなんとうじけん、簡体字中国語: 中美撞机事件、英語: Hainan Island Incident)は、2001年4月1日に海南島付近の南シナ海上空で、アメリカ合衆国中華人民共和国(中国)の軍用機空中衝突した事件である。中国側の戦闘機が墜落しパイロットが行方不明になったほか、アメリカ側の電子偵察機も損傷して海南島に不時着し、パイロットは中国側に身柄を拘束された。この事件により、一時的に米中関係の軍事的緊張が高まることとなった。
この手紙はなくなった王偉の夫人がブッシュ大統領へあてたものである。

防空英雄王偉像と乗機の同型のミサイルと機関砲。

1995年の江沢民による哈爾浜艦視察写真。
新型ミサイル、艦砲、魚雷、電子線装備などが一層そろい、一層鍛錬され適時使用できるような海軍になることが求められた。

052A型駆逐艦二番艦青島の進水記念タオルとネームプレート。西側技術を大規模に導入し、中国の新しい海洋戦略に基づく初の外洋型大型艦として建造された。上で江沢民が乗っていたのは一番艦の哈爾浜である。

自主建造の艦艇、潜水艦、爆撃機などがまた就役してきた。

J-7戦闘機と潜水艦の模型。

三峡ダム建設や長江水害にも海軍は出動した。写真は現場で演説する江沢民。

岩礁掘削部隊の表彰プレートやその装備など。

ロシア・アメリカをはじめとした欧州・アフリカ太平洋一帯など様々な国家に友好訪問を行った。

ソ連軍装備をモデルとして、ミサイルなどの装備も近代化された。

ロシアに技術団を派遣し、対潜ヘリやスホーイ30などの航空機や潜水艦の購入、対艦ロケットの導入などを行った。

ミサイルの模型。

協定書、贈り物、導入艦艇など。

第十六大会以降、少しゆとりのある社会を全面的に建設するために社会主義現代化建設は新段階に入った。人民海軍は胡錦涛主席の国防と軍隊建設の思想と指導を堅持し、科学的発展観を国防と軍隊建設の指導的地位に置き、新世紀新段階の軍隊の歴史使命を自覚し、革命化、現代化、正規化を統一的な原則として、教育訓練、人材育成を推進した。

胡錦濤国家主席による題字、
国家の中と同じく新世紀の新段階におけるわが軍の歴史使命と要求にかなった強大な海軍を建設しよう。

現代の軍人の核心価値観をはぐくむ教育が行われたほか、科学発展観の学習と実践が行われた。

海軍の英雄の展示と、五支隊五、指揮官、参謀、科学者、技術専門家、士官の教育の拡充と強化が図られたという展示。

海軍らしい文化の建設の展示、学習やレクリエーションなどを行った。

海軍の新型艦や、ワッペン、表彰関係など。

ここまでくると潜水艦や水上艦艇もかなり近代的である。

対に人民解放軍初の空の遼寧の進水と就役が行われ、人民解放軍の現代化は新段階に入った。

情報毛連携訓練や南海遠洋航海訓練。

強襲揚陸艦の模型、エアクッション艇がいっぱい入っているのがわかる。

遼寧の模型、結構大きい。

夢だった艦遼寧。海軍司令官の書いた本。

空母船員の登録カード。

アメリカ空母の見学や宣伝画、ここから時間をかけて空母が実装された。

新型の原子力潜水艦が就役。

ミサイル駆逐艦、ミサイル護衛艦も新型が就役。

水中兵器試験艦や対潜哨戒機など後方装備も充実してきた。

電子偵察船の就役。

三胴の救助艇北救143艇

各国との合同演習の展示。

2005年にロシアとの合同演習を行い、2006年には初めてアメリカとの合同演習を行った。

記念品など。

多国籍合同訓練や、シンガポール・オーストラリア・イギリスなどとも演習。

多様化した軍事任務への対応できるように変化。

胡錦涛が石家庄艦に乗った時の記念の題字。

災害救助と北京オリンピックの支援。

アデン湾など中東の平和維持任務やリビア内戦による在リビア中国人の救出などの遂行。

渤海での水上災害の救援や、深圳の日本への友好訪問。

人民海軍として初めての日本訪問で、深圳号が東京晴海に来た。

海上自衛隊による歓迎式典の様子。

練習艦の鄭和が世界を半周して友好活動を行った。

鄭和の航路。

今日はここまで、次回は第三展示場と第四展示場をまとめてやります。

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