建軍節を迎えるたびに

英雄的朝鮮人民軍兵士に日本の同志より敬意を捧げます。

祖国解放戦争がたけなわのチュチェ42(1953)年2月8日は、私が人民軍に入隊して初めて迎えた建軍節であった。その日を、坑道の兵舎で戦友たちと共に過ごしたが、今もあの時のことがありありと思い浮かぶ。

苛烈を極めた戦火の日々にも、人民軍の勇士たちは建軍節を意義深く祝った。

建軍節を祝って駐屯地域の人民が真心を込めて送った援護物資と坑道で栽培したモヤシでつくった盛り沢山な料理も見事であったが、あちこちから聞こえる話はわれわれの心を打った。戦争が終われば科学者になると言う人や故郷で野良仕事に専念すると言う人、生涯、軍服を着て祖国を守ると言う人もいた。

その日、朝鮮人民軍最高司令官命令で平壌、南浦、元山、咸興で240門の砲でそれぞれ20発の祝砲を打つというニュースが伝えられた。この感激的なニュースに接した戦友たちは互いに抱き合って、鋼鉄の総帥偉大な領袖金日成同志を戴いたがゆえに、われわれはもう勝利した戦争を行っている、と唱えながら歌をうたい踊りの輪を広げた。

その日、亡国の民として石のごとく見捨てられていた火田民の息子が朝鮮人民軍軍人、狙撃兵となった誇りと金日成同志のために、祖国のために一命をなげうつという誓いを自作の詩に込めて詠じた。

やがて、戦争はわれわれの勝利で終わり、私は志望通り大学で勉強するようになり、一生中央機関で勤務した。

建軍節を迎えるたびに私は、偉大な総帥を高く戴いたがゆえに、わが祖国は常に健在であり百戦百勝するという真理を今一度確信する。

平壌市牡丹峰区域凱旋洞 キム・ボングァン参戦老兵

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