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ロジカルは本当に正しいのか?

みなさん、こんにちは!ターチです。

今日は「ロジカルである」ということについて書いていきます。

ロジカルというと、多くのビジネスマンがそうではないでしょうか。以前、私が勤めていた会社でも、ロジカルな人が多く、すべてを理詰めで考えていくというような感じでした。

ロジカルで考えていくことはとてもすばらしいことだと思います。昔、知り合いの社長の方ですごくロジカルな人がいました。この方は、すごいんです。

朝から晩まで自分のスケジュールを次に何をするか、どうすれば効率的か逆算しながら、ずっと考えているんです。

もちろん、一緒に行動するときは、こちらは何も考えなくていいのですごくラクなんです。私にはできないなと思いました。もちろん失敗もしにくく、流れるように物事が進んでいくと思います。

しかし、どうも私はこのロジカルがあんまり好きではないかもしれません。なぜなら大事な直観をおさえることになるからです。


私は直観を大事にしています。たとえ、ロジカルに物事を決めていたとしても、途中でこちらがおもしろいと感じたら修正します。


おそらく「ロジカルな人」というのは、そのまま予定調和で進むでしょう。


これはあくまで好き嫌いの問題かもしれませんが、あまりに予定調和でいくと人生がつまらなくなる気がするんです。


私たちの人生がおもしろくなるときというのは、自分の予想や期待が外れたときです。

そのとき良くも悪くも物事が思わぬ展開に発展していきます。すると、なんとも言えない人生の醍醐味を感じることがあるのです。


さて、この「ロジカル」というものをもう少し深堀してみたいと思います。


私は、ロジカルというのは、あくまで人間がつくった論理体系だと思っています。

つまりAならばB、という論理の法則です。これはもともと人間が「こうすれば、うまくいくだろうということ(効率)」を考えてつくられていると思うのです。だから言葉もそうですね。


したがって、裏を返すと、この世の中の出来事、地球で起こっている自然現象などは、この「ロジカル」を越えていると思うのです。あくまで人間がコントロールできる範囲が「ロジカル」であり、この外側のことというのは、「ロジカル」で考えても不明な超常現象ですよね。

これがいわゆる、霊的な世界とかスピリチュアルな世界ですね。

ロジカルはあくまで人間に都合よくつくられています。だから、私が思うに、もともとあった自然(精神)世界の中で、人間はより効率よく生きるために言葉を生み出し、それによって直観やスピリチュアルな能力を失ってしまったのではないかと思うのです。


直観というのは、目には見えないけども、分かるというようなテレパシーとかサイキックのような能力です。動物や生き物をみていて、なぜ彼らには感じ取れるのに、人間にはできないのか不思議でならないのです。


それはやっぱり、「ロジカル」を肥大化させてきた結果だと思うに至っています。

前にもお伝えしましたがもともと私は、数学などを勉強し、この論理体系についてすごく興味を持っていました。

論理を駆使すれば、世の中の現象はすべて説明できると思っていたのですが、長年生きていると、それにそぐわない現象が山のようにあることをみて、もともとの論理体系は自然を記述するものではないと感じました。あくまで人間の思考が及ぶ範囲ということです。

ですから、やはり「ロジカル」を越えるのは直観の方ではないのかなと思っています。

直観が世の中の真実を教えてくれる気がします。自分が世の中のことをみて、ロジカルにみればしょうがないなと思って見ていることも、実は直観でみると、「それ、おかしくない?」と思えるような気がします。

いわゆる子供たちが、正直に何でも言いますがそれが、真実を語っていると思います。

私たちは世の中を「ロジカル」で塗り固められ、それが効率的で、実用的で、正しいものであると教えられていますが、果たしてどうでしょうか?いまの地球で起こっている現象をみると、本当にその「ロジカル」が正しかったのか、見直す時期が来ているかもしれません。

みなさんはどう思いますか?


本当の生き方はどちらが正しいのか、ぜひみなさんも考えてみてください。

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