見出し画像

只今、やめる練習をしています。

まず私は達成意欲が高い上に、大概のことはやり遂げるタイプだ。
目標を立て、ゴールから逆算してタスクを洗い出し完了していくことに喜びを感じるし得意。しかも忍耐力もあり馬力もあるのでグッと堪えてやり遂げる。

もう30代も半ばに差し掛かっているので謙遜ではなく自分の長所として堂々と掲げるスタンスを取っていこうと思う。

これは私が30代までに苦労して身につけた愛すべき長所。
ただ、この育休という長い休みの後半に気がついた。

いったい私は何のために頑張るのだろうと。


育休の前半は自分を労りほやっほやな赤子を愛でることに集中した。
思いつきで映画を育休中に100本観ること、自分や家族の思い出を写真とイラストで描いて記録することだけ続けた。

4月、第二子が保育園に入園し、復帰部署の内示も早々に出て育休の終わりが見えてきた。そして再び私の達成意欲に火がついた。
上司から勧められた復職後に役立つ書籍の数々、WEBクリエイターのオンライン講義、行きたいところ、会いたい人、家のここをもっと片付けたいだとか、あと○キロ痩せたいとか、映画100本観るも残り30本くらいあるし・・・etc

笑っちゃうくらいやりたいことが山盛り。
振り返ればあんた1日何時間か知ってるゥ?レベルだった。
それでも少し忙しなく過ごして気がついた。

いったい私は何のために頑張るのだろうと。

当方、非常に打算的な人間なので
「これをやっておいたら後々自分に役立つだろう」ということが大好物だ。

でもそれって本当に自分のためなのか。

例えば復職した時に「おすすめされた本全部読んできました〜!」
って言いたい見栄や有利に働きたい下心なんじゃないか。

読了できなかった1冊は睡眠導入剤並みにページが進まなくて
場所を変えたり読み方を変えたり努力はしたが思い切ってやめてみた。

過去の私だったらおそらく読み切って学びをレポートにまでしていた。
けどやめた。

映画を100本観ることもやめた。
この休み中に鑑賞した約70本で人生観に影響するような素晴らしい作品に出会うことができたし、自分で掲げた「100」の数字に意味がないことは明らかだった。それでも私は自分が決めた目標という半ば呪いをやめるのは勇気のいることだった。

こうして言葉にして気がついたが、「せっかく長く休むなら何か得たいな〜」という育休に対する欲が強すぎる自分にも気がついた。
欲深すぎて己が恐ろしい!!!

もうこれは自分に対する荷物を減らす訓練だから、すっぱりやめて
「ここまでやったんだから十分意味があるよ」と自分に言い聞かせることだ。


いろんなことをやめて、残ったものを広げてみたら
自分の輪郭が見えてきた。

次回noteを書くときは残ったものたちについて広げてみたいな。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?