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デンマークでのワーキングホリデー②

コペンハーゲンから無事出国し、UKの空港で1日空港泊し、トロントにはコペンハーゲンを発った2日後に到着した。UKの空港が結構イミグレーションが厳しい印象を受けた。おそらくブレクジットが話題の時期だったからだろう。

少し話は変わるが、トロントに入国する際、イミグレーションで入国拒否されないかヒヤヒヤしていた。というのも、話を遡る事私がトロントでワーキングホリデーをしていた時、タックスリターン(日本の確定申告)で1000ドルくらい戻ってきた。その時はラッキーくらいにしか思っていなかったが、それから1年後、私がオーストラリアにいる時に、カナダのタックスオフィスが私のタックスリターンの再査定を行った。これはおそらくランダムで選ばれるのだろう。そして、私の申告にミスがあり、税金を追加で納めるようにという事だった。私は友達の言う通りに申告しただけで、何故追加で納税しなければいけないんだ。と思って無視していた。そして事あるごとにタックスオフィスから連絡がきていた。その納税をずっと無視し続けて、今回の入国と言うこともあり、ちょっと緊張しており、まあ入国拒否されたらその時はもうどうにかしようと言う感じだ。(結果的に帰国後、30万ちょいタックスオフィスに納めて終了。タックスリターンは自分でやるよりそれ専門の業者を使うのが良いと思う。)

そんなことがあったが、入国審査官のチェックはされず入国。おそらく、UK経由だったからだろう。日本からの入国は必ず入国審査官がいるはずだ。

3年ぶりくらいのトロントは、どこか懐かしい、第二の故郷に戻ってきたような気持ちだった。この地から私の人生のチャプター2が始まったのだ。とかしみじみした気持ちと、無事入国できた喜びをゆっくりと噛み締めて、今回お世話になる友人のアリ宅へ。アリとは、3年前に同じバイト先で友達になった。かなりのお調子者で数少ない現地人の中の良い友達だ。今回、彼の両親が一軒家を購入し、その一軒家をアリが管理すると言うものだった。実際に人が住み始める前に、家の全てをリノベーションが必要らしく、リノベーションをする間、空いてる部屋をタダで使わせてくれた。正直綺麗とは言えないが、かなり大きな部屋で、マットレスと布団も用意してくれていた。3階建ての一軒家で、地下室に洗濯機と乾燥機、一階にキッチン、2階と3階に風呂とトイレ。取り敢えず古くなったキッチンからリノベーションが始まった。

そう、家のリノベーションは朝から始まり、かなりの騒音だ。しかも、なんと言っても、もしかしたら重機よりもうるさいんじゃ無いか、と思ったのは、作業員の声。みんな英語が喋れない中国人のおっさんで、どうやってカナダで住んでるの、ビザはあるのか的なおじさんたちだ。棟梁の声がとにかくデカかった。かなりうるさかった。

仕事の手伝いはと言うと、飯を食わせてくれるなら毎日やっても良かったが、週5日になった。ラーメン屋で働くのは初めてだったので、全部の仕事が新鮮で楽しかったが、ある意味3ヶ月やればお腹いっぱいだ。

そんな感じでトロント生活がスタートし、ワーキングホリデー時代にお世話になった人に会って飲みに行ったり、新しく出会った人に釣りに連れて行ってもらったり、アリの家でアートの展示パーティをしたり、トロントラプターズが初めてNBAで優勝したり、リトルイタリーフェスティバルの手伝いをしたり、キャンプに行ったり、FM-84のライブに行ったり、こんな感じで3ヶ月間トロントで生活した。

トロントに住み始めて、最後の2週間は実はホームレスの状態だった。アリの家の地下室のリノベーション中は、家に住むことが安全上の問題で住むことができなかったからだ。さて、トロントでの2週間のホームレスサバイバル術をここでおさらいしておく。まず周りの友達の家にそれぞれ2泊ずつする。これは、同じ人の部屋に長く住むのは悪いので。私の場合、2日友達の家に宿泊。その後、キャンプに行ったので、1週間の半分以上はそれで潰した。残りの1週間は手伝い先のラーメン屋で床に段ボールを敷いて寝ていた。お風呂は、近くのジムの1週間無料トライアルを利用。そのジムとはYMCAなのだが、実は後から知ったのだが、スペースXやテスラの創業者もイーロンマスクも同じようにYMCAでシャワーだけ使いに行っていたようだ。

こんな感じで3ヶ月トロントで過ごし、コペンハーゲンにはポルトガルのリスボン経由で戻った。私が使った航空会社(TAP ポルトガル航空、この時初めて聞いた名前だがポルトガルのJAL的存在)のプランで現地で何泊ができるトランジットプランのようなやつで、私は予算的にリスボンで1泊してコペンハーゲンに行くと言うプラン。ほんとにタイミング良く、コペンハーゲンに住んでいた時に部屋を借りていたおばさんがリスボンに夏休みで帰っていたので、会うことに。結果的におばさんの家のキャラバンに泊めてもらい、空港送迎、から観光から何から何までお世話になった。そして最後に、お世話になったお礼にお金を渡そうとしたら、そのおばさんが、お金は私にとって単なる紙だ。と言って受け取るのを拒否したのは、一番有名な話だ。

3ヶ月ぶりのコペンハーゲン、友達、彼女、料理長、そしてベルリンへの旅行、名一杯楽しんで私は日本へ帰国した。

3年間のワーキングホリデー生活を終え、感じたことなどはまとめて別で書こうと思う。ここまで長いだらだらと何も起こらない結果的に、文章だったが最後までありがとうございます。

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