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自分のチームをコミュニティと捉えて再設計する #WE ARE LONELY, BUT NOT ALONE.

こんにちは。たーみん(Twitter)です。
#Twitter2020入社の会 の皆さんにおすすめいただいた書籍「WE ARE LONELY,BUT NOT ALONE.」を読みました。

情報が爆発する現代の孤独とコミュニティの変化について書かれてあり、そして今だからこそ必要な人と人との新たな繋がり方について深く考えさせられました。

この本の特徴として私が面白いと思ったのはこんな部分です。

・一節が2〜3ページとかなり短い
・しかも要点がかなりの濃度でまとめられている
・短い記事をネットサーフィンしてるみたいに読める
・ランダムに一節だけ抜き出しても新たな発見ができる
・故に朝の一節だけ読書に最適

全体を通して読むと、安全・安心を担保しながら所属する人が自発的に動くことができる参加型のコミュニティが必要だという話なんですが、一節だけを抜き取って別の視点で見てみると、職場や家庭などで巻き起こる問題に立ち向かうきっかけとアイデアを受け取ることができます。

今回は組織マネジメントの観点で、本書の中から二節だけピックアップして掘り下げてみました。

問題解決型の教育システム

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インターネット以前の時代では情報が簡単には行き渡らない世の中でした。だからこそ、解決しなくてはならない問題が多く、その解決策にあたる情報の価値が高かったのです。

その解決策にあたる情報を定型化して作り上げたモノの一つが教育システム。私たちは「教育とはこうあるべき」という理想像で作り上げられた環境で教えを受け、ひたすら学校が作り出した「問題」を解決するという行為を繰り返してきました。

日本では問題解決できる人間が求められてきたからこそ、みんなそうやって教育を受け、それが正しいと信じてきました。そして、その教育は「新人研修」という名に代わり、会社でも同じことが繰り返されているのだと感じました。

これまた以前読んだ『突破するデザイン』という本に共通する話になりますが、問題があるという前提から物事を考え始めると、大抵ネガティブスタートなので飛躍的な進化をするケースはほとんどありません。

余程劇的な技術革新が起きない限り、問題を解決した時に想定される事業レベルを超えることはないでしょう。むしろそこへ行き着くまでに疲弊するというのが定石ではないかとすら思います。

そもそも、解決すべき問題なのか?
問題解決の議論が始まる時、私は「そもそもそれは本当に解決すべき問題なのか?」と考えるようにしています。そもそも向き合うべき話なのか。別の視点からアプローチする方がいいのではないかと。

Web制作の現場で例えると
・納品スピードを上げないといけない
・プロジェクトの進行過程でタスク完了の報告が漏れてストップしている
・この報告漏れを防ぐためにルールを作ろう!

この流れでは「タスク完了の報告漏れ」が原因と捉えられています。しかし、ここで「そもそもタスクいる?」という疑問をぶつけます。余計な工程を省いてフローを簡略化すればそもそも報告漏れという概念が消え去り、コンパクトになるのでプロジェクト進行も早くなる。

この場合、タスクを減らすためにプロジェクトのフローを設計し直すことになりますが、既存の問題を解決することにリソースを割くよりも新たな問題を発見して解決することにリソースを割いた方が得られる効果は大きいでしょう。

この根本的な問いかけの重要性は『ルーキー・スマート(リズ・ワイズマン著)』や『ORIGINALS 誰もが人と違うことができる時代(アダム・グラント著)』でも説かれています。

大事なのは、表面化している問題にフォーカスする前になぜそれが問題なのか?そもそも解決すべき問題は別にあるのではないか?と疑うことだと思います。これを問題発見型思考といいます。

安全・安心とは何か

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結論から言ってしまうと、コミュニティにとっては安全・安心が確保されている状態こそが最も居心地が良く、それが侵されてしまうと活発になれなくなります。

本書では、安全・安心の概念は人や立場によって異なると言います。

【甲子園を目指す野球部】
「野球は遊びでやりたいから練習減らそう!」と主張する人が入ってくると自分たちの目指す像とは違うので安全・安心が脅かされる。

【遊びで野球をやってる野球部】
「甲子園目指さなきゃ野球やってる意味がない」と主張する人が入ってきたら安全・安心が脅かされる。

その組織・コミュニティにとって何が安全・安心なのかは組織の理念や主要メンバーの価値観に左右されます。

「仕事なんて作業として適当に受け流しているだけでいい」というマインドの組織に異動してきた若手がバリバリ仕事をすると煙たがられるというシーンは現実でも漫画やドラマでもよくあることです。

これでは、やる気のない人たちとやる気のある人たち両方の安全・安心が保てていない状況になります。

実際にこういった場面に直面した時、バリバリ仕事をする若手君の視点から見ると「やる気のない人たちをどうやって自分の意思で仕事をさせるか」というところを解決すべき問題として捉えるでしょう。

しかし、先ほどの問題発見型思考に立ち返って「そもそも解決すべき問題は何か?」と深く掘り下げてみます。そうすると、以下のような候補が浮かび上がるでしょう。

・仕事の社会的貢献度が見えにくいから自己肯定感がないのでは?
・その仕事の意図が上層部から伝わってきていないのでは?
・評価基準が定まっていないからやってもやらなくても同じなのでは?

他にも挙げればたくさん出てくると思いますが、きっと原因となっているものはまだまだあるでしょう。

根本的な問題を解決し、メンバーと対話することで情報をオープンにしてお互いの安全・安心を設計していくというプロセスを踏めばチームは生まれ変わります。

本書ではコミュニティを作る時に安全・安心を設計すると書かれていますが、個人的に既存のコミュニティを改革するときにも安全・安心の再設計は非常に効果的だと感じました。

最近では心理的安全性が注目され、生産性の高いチームが持つ共通点とも言われています。そのために必要なのは、とにかく情報をオープンにすること。

・みんなのモチベーションが同じであることがわかっている
・ミスをしてもそれを理由に非難されることはないとわかっている
・自分がやっている仕事にはどんな意味があるのかがわかっている
・チームで取り組んでいることがどれくらいのインパクトになるのかがわかっている
・一度引き受けた仕事はやり切ってくれるという信頼感がある

こういった環境で、自分の仕事への欲求とマッチしていれば自ずと前向きになりチームは活性化されます。

安全と安心の違い
安全・安心という言葉を使っていますが、「安全」と「安心」にも明確な違いがあります。

安全:場所やモノに紐づくことが多い。
→東京は安全な街だ(ハード面での安全の担保)

安心:心に紐づくことが多い。
→東京は安心な街だ(ソフト面での安心の確保)

安全は客観的な事実を基にしていて、安心は心理状況を表しています。

組織に当てはめると、会社の業績や社会的ミッションの正しさなどが安全であり、オープンな状況による心理的安全性が安心なのだと思います。

この両方が揃った時に初めてチームの力は最大限発揮されるようになるのではないでしょうか。

安全・安心の再設計

WE ARE LONELY,BUT NOT ALONE.
-我々は孤独だが、一人ではない-

本書はインターネットによる情報爆発で分断されてしまった私たちのコミュニティを新たな視点でつなぎ合わせてくれる非常に優しいメッセージを伝えてくれています。

SNSを使ったコミュニティの設計の具体的なノウハウまで切り込んだ本なので、本来はもっと大きな枠で語るべきものだと思いますが、小規模なチームを前向きにするという方向にも活用できると感じました。

あなたのチームにも安全・安心を確保できずに孤独を感じている人はいるかもしれません。

しかし、一人ではない。
メンバーがいる。
だからこそ、孤独を感じている真の理由を掘り下げて考え、安全・安心を再設計するというアプローチは有効なのではないでしょうか。

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