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心を許せる相手は自分にとっての酸素なのかもしれないね

社会人7ヶ月目。

最近さみしいと感じることが増えた。心細さというか切なさというか言葉にうまくできないけど心がきゅーっとなって大切な人のことを思い浮かべると悲しくなる。

このもやもやの正体は仕事が嫌だからだと勝手に思い込んで考えないようにしていたけどさっき思った。
仕事関係以外の知り合いがいないから。本当に心を許せる相手がここにはいないから。

前、2ヶ月休職していた同期が「心を許せる相手がいない」ことが苦しいと言っていると先輩から聞いて、一番近くにいた身としてショックだった。
でも、今その同期の気持ちがわかった。
その同期の彼氏が「君は仕事のためだけに地元を離れてその土地にいるから苦しいんだろうね」と言っていたとその同期から聞いたとき、ものすごく腑に落ちた。

今私がしんどいなと思っている本当の理由は仕事が嫌だからではなくて
仕事がおわったときに仕事を忘れさせてくれる相手とか、
休みの日に仕事のことを考えず遊んでくれる相手とか、
仕事以外の話ができる相手がいないことなんだなと。

なんか今まで仕事辞めたい嫌いと思っていたけど、
この感情のもやもやを勝手に全部仕事のせいにしてただけだなーとわかって
少しほっとしている。仕事自体が嫌いなわけではないのかなと思って。

あと、休みの前日すっごく幸せなんだけど、休みの日になると体がだるすぎて眠すぎる。仕事の日はそんなことないのに休みの日のだるさがすごい。
そして仕事が始まることを考えると気が重くてしょうがなくなる。
だからむしろ仕事の日の方が楽なんじゃないかと最近思う。
でも心許せる人が近くにいれば休みも楽しいんだろうなー。

結局、今の心のもやもやも休みの方が元気がなくなるのも
自分をさらけ出せて一緒にいて楽で仕事を忘れられる相手が近くにいないことが原因なんだろうなとわかった最近だった。

「もう空気みたいな存在だよー」とかよく聞くけど
心許せる相手って一緒にいるだけで生き生きできて生きるのが楽で苦を感じないから、酸素みたいな存在なのかなと思った。
いい意味にも悪い意味にも聞こえてた言葉だけど、
その人がいるから自分らしく心地よく生きられるっていうことな気がした。

こうやって自分のもやもやの原因を考えることすら憂鬱で
今まで仕事のせいにして深く考えないようにしてたけど、
自分が何にストレス感じているのかを考えてそれがわかると、
少し心が軽くなることもわかった。

一人が好きだけど、周りにいてくれてた人って思った以上に大切な存在だったんだなとそれが当たり前じゃなくなってから気づいた。

会いたいなーさみしいなー

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