![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/142412732/rectangle_large_type_2_dc3eb9e64f2a5456ea7354bf871ab0d1.jpeg?width=800)
"悩む"より、"考える"。
こんにちは、きなりです🍥
何をするにも"悩み"ってつきものですよね~…
わたしもキャリアのことで悩みの種を抱えてまして…
そのせいでずっとうじうじ、うじうじ…
どうしようって思いめぐらせるあまり、
なかなか前に踏み出せなくて、
悩みのつるぼにハマってしまう始末…。
そんな1週間でした。
わたしだけではなく、みなさんにも
転職に限らず、仕事に家事、趣味など、
どの分野でも"悩む"場面は多々あると思います。
あまりに"悩み"に対面する機会が多すぎて、らちが明かないので、
わたしは悩んだら、その時点でもう「しない」!
って決めることにしました💪
今日はその理由についてお話ししようと思います💭
何らかの"悩み"を抱えている方へ、
問題解決のヒントになりますように!🙏
悩んでる時点で「しない」理由を探している
悩みの内容は人それぞれですが…
悩みの原因の多くは「何らかの選択を迫られたとき」だと思います。
仕事を辞めるか、続けるか…
A社に就職するか、B社に就職するか…
習い事を始めるか、どうか…
…などなど、種類を挙げるときりが、
「する」か「しない」の2択であることは共通の問題かと思います。
選択を迫られるときに、悩んでいる場合、
自分の意思とは反対の「しない」という意見を視野に入れ、
その理由や口実を探そうとしているものだと考えています。
例えば、ふと「転職しようかな」と思い立ったとき、
「でもなあ…」と悩むようであれば、
現状のまま、転職をしない選択を既に視野に入れていることになります。
何が言いたいかと言うと、
無意識の内に「しない」選択が湧いてくるのであれば、
それが本心だと思うのです。
なのでわたしは、"悩み"は発生した時点で、
「しない」もとい「したくない」と考えている自分の存在に気づき、
その気持ちを優先させます。
「したくない」という気持ちがあることを自覚したうえで、
「する」ほうを選択した後のリスクを見据えたうえでの行動です💪
後になって「"しない"方を選択すればよかった…」という
後腐れのないようにする自戒だったりします💪
「悩む」のではなく「考える」
「悩む度に"しない"方を選択したら、全部"しない"を選択する羽目になって
結局何もできなくなっちゃうじゃん!」と思われた方もいるかと思います
おっしゃる通りです!
ですのでわたしは、悩んだら「考える🧠」モードに脳を切り替えます。
「悩むこと」と「考えること」は、わたしの中では別の行為です。
その違いは単純明快で、
悩む👀:主観的、直感的に対処する
考える🧠:客観的、論理的に対処する
です。
先ほど例に挙げた「転職しようかなあ」という悩みを、
「考える🧠」モードに切り替えたら、
「転職後のキャリアは?」
「転職に必要なスキルは保有している?」
「希望する就職先は?」
…などなど「これからどうする?」か、その問いが浮かびます。
その問いに対して、ひとつずつ「こうしよう」という答えを当てはめる。
もし、答えが見つからなかったら情報収集をして、再度答えを練り直す。
やがて、すべての問いに対して
「こうしよう」という答えが用意できたら、
後は実行に移すだけ(場合によっては、棄却もありえる)。
…という、ここまでの流れこそが「考える🧠」行為だと思ってます!
「悩む👀」のが自分の感情にとことん向き合うことに対して、
「考える🧠」のは自分ではなく問題に向き合います。
なので、「悩む👀」はその場で立ち止まって
ぐるぐると思いを巡らすだけですが、
「考える🧠」は行動するので、1歩でも前に前進しています。
わたしは、自分が"悩み"に陥ったとき、
「このままストップしていたくない!」という気持ちがあるので、
後者を選ぶようにしています。
「主観的」で何が悪いの?
「悩む」ことは「主観的に対処すること」だと言いました。
しかし、わたしは「悩む」行為そのものや、
主観的に物事を見ることが必ずしも悪いとは考えていません。
むしろ、考えるより悩んだ方が面白い場面があることも知っています。
苺のショートケーキと、苺のタルト、
どっちにしようかなあ…とか🍓
(これはおふざけが過ぎますが💦)
仕事でも「どうレイアウトしたらいいかなあ」とデザインを構想したり、
転職でも「今はどんな求人があるのかなあ」と仕事を探すのは、
「悩む」なかでいろいろな発見があって、楽しいです。
そういうタイプの「悩み」および「主観的な対処」は、わたしもします。
ですが、気を付けておきたいのは、
何より「もしもの時に身を守れるか🚑」です。
「主観的」に対処した場合、もし後で何らかの失敗や事故が起きたとき、
その責任が自分自身に回ってくる可能性があります。
特に、自責的な人ほど、自ら自分を攻撃する可能性が高いので、
「主観的」な対処は慎重に行った方がいいと個人的には考えています。
対して「客観的・論理的」に対処した場合、
有事の際、その責任が自分自身に回ってくることはありません。
ミスしても、「考え方が悪かった」
「こういう論理で考えたらよかった」
と、自分自身ではなくあくまで「考え方」に問題があったのだ🚑、
と捉えることができます。
「考え方」に問題があったのだから、
今後はまた違う「考え方」をすればいいだけ。
このように、「主観」に頼ったときより
前向きになれるという点もあります。
ですので、「主観的」な対処をするかどうか悩んだら、
その後で何かが起こっても
「自分の心を守れるか🚑」をまず考えてみて下さい。
…例えば苺のショートケーキを選んで、
後になって「苺のタルトにすればよかったぁあぁあ‼」となっても、
「またお店に行ったらいっか♡」になるだけで、
誰も攻撃されないですからね。
そういう「悩み」であれば、わたしは大いに悩みます♡
結論:「悩む」とメンタルが削れるから、しない
ここまでのことをまとめると、
「悩む」ことは、自責のリスクがあるので、基本的にしない方がいいです。
むしろ、いったん自分の感情は置いておいて、
「現実問題、これからどうする?」という問いに答えを与える、
「考える」行為に徹しましょう💪
ただ、自分を含め、誰にも責任が問われない悩みは、
大いに悩んで結構です🍰
仮に後から後悔するようなことがあっても、後悔すら楽しいので。
以上が、わたしなりの"悩み"対策でした
何らかのお悩みを抱えている人の参考になればと
どんな悩みであれ、すべては心身が資本ですので、
「悩む」か「考える」か以前に、ご自愛を忘れず!
ここまでお読みくださり、ありがとうございました🍵
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?