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内向型の生き方について

(※今日の内容を音声で楽しみたい方はコチラからどうぞ(^^)↓)


外向型か内向型か?というと、これはもう間違いなく僕は内向型である。

なんでいきなり外向型とか内向型の話なのか?というと、これまで40年ほど生きてきて、内向型である自分は数えきれないくらいの「とほほ…」を経験してきた。

そしてやっぱりこの社会というのは、内向型の人間にはあまり、いや全くと言っていいほど向いていない社会ではないかと、ふと思った次第である。

内向型にもいろいろなタイプがあるのかもしれないけれど、僕の場合は、

・頼み事をなかなか断れない、逆に頼み事はなかなかできない

・なので人が断っためんどくさいことが自分に回ってくる

・そしてそのめんどくさいことを人には頼めず自分でやることになる

・人が怒られている場面を見ると自分も心がギュッとなってしまう

・なんとなく、相手の気持ちが表情とか雰囲気とか仕草で感じ取れる

・とはいえ、たまにセンサーが強すぎて思い込みというか勘違いも強い

・なので勝手に自分は嫌われていると感じてどよーんと落ち込む

・人がたくさんいて賑やかなところに行くとパニックになりそうになる

・家でひとりのんびりしている時間にとても幸せを感じる

・人よりも自然とか動物とか植物とかが好き

・話すよりも話を聴く方が好き

・とはいえ、沈黙が続くと申し訳ないなあと感じてひとりで焦る

・勝ち負けに全く興味がない、1番とかにも興味がない

・人に好かれたいというより、人に嫌われることをものすごく恐れる

と言った感じで、もしかしたら内向型とは関係のないことも書いてあるのかもしれないけれど、自分の性質というのか性格というのか、今の自分の心というのは、どう見ても「多少ダメージをくらおうがどんどん攻めていくバトルタイプ」ではなくて、「できるだけ回避力を上げて、ダメージをくらわないでかわし続けてなんとか生き残る非バトルタイプ」になる。

ただ、この社会というのは多分、いやおそらくそうだと思うのだけど、バトルタイプ向けの社会というのか「戦って、防御力も攻撃力も上げて攻めていく」という、攻めの生き方をする人向けの社会のように感じる。

なので、僕のような「戦わず、戦闘力ではなく、回避力に全振りでなんとか生きる」という、どちらかというと「守りの生き方」というのか「逃げの生き方」の人間にとっては、なかなか大変な社会である。

まあ、それでもなんとか生きていかないといけないのだろうけれど、昔に比べたら、僕のような内向型で非バトルタイプの人間でも生きていけるような社会にちょっとずつ変わってきたように感じている。

とはいえ、今はその生き方を探すというのか、つくるというのか、まだまだ模索している段階ではある。

その模索してみてあーだこーだやってみたことは、これからもここに書いていきたいし、それがかつての僕というのか、僕のような生きることにキツさを感じているけれど、どうやって生きていったらいいか悩んでいる人に、ほんのちょっとでも何か参考になれば嬉しい。

とまあ、なんだか偉そうなことを書いているけれど、現状はというと一般的にいえば「無職」であることには変わらない。

とはいえ、そこに関しては自分を責めることはもうやめたし、日本でたったひとりの無職だったら、そりゃあ悩むし焦るだろうけれど、きっと僕にもできることで、好きなことで、誰かを喜ばせて、生きていくために必要なくらいのお金を受け取れることはできるという確信がある。

そのタイミングは今なのか、もうちょっと先なのかはわからないけれど、今は目の前の「今ここ」に気持ちを向けて、内向型の自分にあった生き方でちょっとずつ進んでいこうと思う。


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