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過去は(ほとんど)振り返らなくなってきたことについて

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日々の人生、あるいは生活において、基本的には「今ここの自分を生きる」ということを意識しつつ過ごしているわけだけれど、なんというか感覚的なものではあるけれど、過去をほとんど振り返らなくなったというのか、意識しなくなってきたようにも感じている。

例によって、またわけのわからないことを言っているのかもしれないし(多分そうだ)、同じことを繰り返して言っているのかもしれないけれど、ここ最近なんとなく「未来とか過去って実はないのかもなあ」と思うようにもなった。

僕はほぼ毎日のようにこの文章を書いて、イラストも描いて、ラジオで話すわけだけれど、それぞれアップする前に確認のために読み返したり、聞き返したりはするものの、アップしたあとはもう読み返すとか聞き返すということはしない。

確か昔ミュージシャンの人で、自分のつくった音楽はつくったらあとは聞くことはない、みたいなことを何かで知って「へえ、そういうものなのかなあ」と思っていたけれど、実際に自分が何かをつくる立場になってみると、確かにつくって外にアウトプットしたあとはもう振り返らないというのか、もう気持ちはそこにはいなくて、次というか「今ここ」にしか向いていないような感覚になる。

だから、何かで自分の書いた文章を読む必要があって読み返した時に、こういうと変だけれど、僕じゃない誰かが書いた文章を読んでいるような不思議な気持ちになる。

その時の「今ここ」の自分とそれを読み返している「今ここ」の自分は、同じようで同じでないというのか、やっぱりちょっとずつ変化しているわけで、だから、前に書いた文章を読むと、何だか不思議な気持ちになるのかなあと思うわけである。

そうやって何かをつくることもそうだし、ここ1年でいろんなところに行くようになって、自分でも信じられないくらいにたくさんのイベントに参加するようになったわけだけれど、その時その時で、楽しい時間を過ごして「うわあー、今日もとっても楽しかったなあ」と強く感じるのだけれど、それと同時に気持ちはもう切り替わっているというのか、あまり余韻に浸るわけでもなくて、その楽しい時間を過ごしていたちょっと前の自分から「今ここにいる自分」に戻ってくるみたいな感覚が強くなってきたし、そういう「ニュートラルな自分に戻る」サイクルがなんというか、はやくなってきた。

だから、気持ちとしては「今ここの自分が自分」という感覚でいるし、過去というのがあるとすれば、過去に自分がどーしたこーしたというのはあんまり今の自分と関係ないというのか、いつも「今ここの自分」が独立して存在しているというのか、極端に言えば、1分前の自分と今の自分はつながっているようでつながっていないというのか、同じようで同じじゃないというのか、そんな不思議な感覚でいる。

もちろん、これまでに積み重なってきているものはあるわけで、まあまだうまく言語化できていないというのもあるのだけれど、確実に存在しているのは「今ここにいる自分」であって、未来あるいは過去はあるのかもしれないし、ないのかもしれない。

今回はいつも以上にだいぶまとまりのない、ふわーとした話になったけれど、このまだうまく言葉にできない感覚はなんだろうなあ?とも思うし、それと同時に未来も過去もなく、あるのは今ここだけというのも、シンプルで心地よいなあとも感じている。



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