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整理することについて

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僕は整理すること、片付けが好きである。

まあ、昔からそうだったか?というと、よくわからない。

ただ20代の頃とかは部屋がモノでいっぱい、ギターとかアンプとかCDとかDVDとか毎月買っている音楽雑誌だとか、あるいは文庫本とか服とか、まあいろんなモノがあったわけだけれど、それぞれを整理しておくことは好きで、こまめにやっていたように思う。

それが今では、その頃の10分の1くらい、というと大げさかもしれないけれど、それくらいモノを手放してだいぶスッキリとした生活をしている。

モノがだいぶ少ないので、今の生活ではモノで部屋がゴチャゴチャするということは、もうない。

基本的にモノの居場所、定位置を決めるようにしているので、何かモノを使ったらすぐにいつもの場所に戻すようにしている。

これは、昔から自然とやっていたように思うのだけれど、モノが多いにしても少ないにしても、モノの帰る場所を決めてあげると、いつの間にか部屋のモノがあちこちにあって、ゴチャゴチャしてどこにあるのかわからなくなるということはない。

だからモノがたくさんある時も、モノは多いのだけれどそれぞれのカテゴリーで整理していたし、定位置も決めて、暇があればどの配置がベストか?なんて考えながらちょこちょこと整理はしていたと思う。

なんというか自分が生活している空間、自分の部屋を整理すると、もちろんスッキリとして過ごしやすくなるし、ゴチャゴチャとしたところにいると目に入ってくる情報量も多くなって疲れるから、整理されている部屋の方がやっぱり気持ちもいいし、変に疲れないように感じる。

まあ「もっとモノを少なくすればいいのではないか?」とも思うようになって、時間をかけてモノを手放して、そもそもモノが少ない部屋にいると、もうモノに時間をとられるというのか、ストレスを感じる、ということもない。

自分の生活する空間、モノを整理することも好きだけれど、あとは物質的でないこと、自分の心を整理することも好きである。

それはなんだろう、イメージとしては部屋を整理して片付けるのとほとんど変わらないというのか、いらないモノを手放していき、風通しをよくしておくということになる。

これはもう今の自分には必要ないなというモノを、部屋から出して手放していくように、今の自分にはいらないなあと思うモノ、例えば執着とか期待とかその時その時で「あ、これはいらないな」と感じるというか気づくタイミングがあるのだけれど、それを手放してみると心がだいぶラクになるしスッキリとして軽くなる。

そうやって、実際の部屋のモノを整理しながらも、自分の心も整理するということはずっと続けている。

それは、そういうことがそもそも好きだというのもあるし、モノや心を整理していくことで、どんどん自分が生きやすくなってきているということがはっきりとわかるからという理由もある。

「もう手放せないだろう」と思っていてもある時に「あれ、やっぱりこれもいらないかも」と気づいて、ぎゅっとつかんでいたものを手放せた時の感覚は、いつだって楽しさというのかワクワクを感じる。

なので整理すること、そしてそれによる自分の変化も楽しみながら、スッキリと身軽な生活をこれからも続けていきたい。

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