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人生のハンドルを握るのは僕の魂、そして、助手席にいるのは僕

(※今日の内容を音声で楽しみたい方はコチラからどうぞ(^^)↓)


まあなんのこっちゃ?というタイトルなのは、自分でもようくわかっているし「また、何かよくわからないことを言い始めたぞ」と思われているかもしれないけれど、今の自分の人生の感覚としてはそういう感じなのである(だからどういう感じなんだ)。

僕という人間はひとりだけれど、なんというか頭であーだこーだと考える「エゴ」の自分と、心で動くというのか直感とか何かピンと感じる「魂」の自分、このふたりがひとつの体に一緒にいるという感じがしている。

多分これまでは人生のハンドルは「エゴ」である僕が握ってきたというのか、自分でなんとかしようとしてきたというのか、自分でコントロールしようとしてきていたように思う。

そしてこれまでは自分の心、つまり魂の声を聞いてこなかったというのか、例えば何かやりたくない、魂はそっちに行きたくないと感じても、頭で「いや、でもみんなやっていることだから」とか「そういうものだから」「それが普通だから」と考えて、そのままそっちに進むということをしていた。

そうしてやりたくないことを理屈をつけて自分にやらせると、やっぱり精神的にも疲れるし、ストレスがかかるし、もちろん楽しくないわけである。

そういうことをおそらくは無意識でずうっと続けてきたのだろうけれど、ここ最近になって、うまくいえないのだけれど「もう自分で何かをコントロールしようとするのはやめてみよう、自然の流れにまかせてみよう」みたいに思うようになった。

なんでそう思うようになったかは自分でもよくわからないけれど、なんとなくそっちの方が無理がなくて、楽しそうだと感じたから、というのが理由になる。

そして「心の声、魂の声に素直になろう、頭で考えて自分の魂が感じたことを否定したり無視したりしないで、そのまま受け取ってその通りに進んでみよう」という気持ちが強くなり、やりたくないことはやらない、たとえ世間では非常識だと思われることだとしても、自分の魂がやりたくない、そっちには行きたくないという方向には行かないように、ちょっとずつだけれどそういうふうに自分を変えていった。

そうするとなんともスムーズというのか、やりたくないことをやっていないから、無理がないのでストレスもないし、気持ちがとてもラクになるのを感じるようになった。

そしてそうやって気持ちに余裕ができてくると、誰かのために動くということが多くなってきて、そのことを嫌々でなくて、楽しみながらできるようになった。

だから友達、あるいは仲間と話していて、何かちょっと困っているというか助けが欲しいみたいな話をしている時に、ふいに「あ、できることがあれば手伝いたい」という心の声が出てきて、これまでだったらエゴの自分が頭で考えて「いや、どうしようかなあ」みたいにしてうやむやにしていたのだけれど、今は割と「あ、何か手伝いましょうか?」とすんなりその場で言って何かお手伝いさせていただくということができるようになった。

それは自分としては大きな変化であり、同時に新しい発見でもあった。

今の自分の感覚としては人生のハンドルは僕の魂というのか、魂の僕が握っていて、いわゆるこうして思ったり考えたりしている「エゴ」の僕は、助手席で魂が連れていってくれる景色をのんびりとリラックスして眺めているようなそんな感じ、親友にドライブに連れていってもらっているような気持ちで、生きている。

それはなんというか「自分がない」とはちょっと違うと感じていて、自分でハンドルを握るのも楽しいだろうけれど、今の僕としてはどこに向かうかわからないドキドキとワクワクの方が楽しいし、エゴの僕が魂の僕をまるっきり信じるようになったということなのかもしれない。

完全に信頼しているから、委ねて任せることができるし、そこに不安も全くない。

人の生き方はそれぞれだし、みんな違うからこそいいのだろうし、自分でも不思議なこと考えているなあというのか、不思議な生き方をしているなあとも思うけれど、それすらも楽しみながら魂の僕とのんびりと、人生のドライブを楽しみながら過ごしていきたい。



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