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「つづけていくこと」について

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僕はそもそも飽きっぽくて、三日坊主でナマケモノなタイプなので、何か物事を「つづけること」が、得意な方ではないと思っている。

それでも今の自分を見た時に、割とつづけることを楽しめていることにふと気づいた。

とはいえ、これは僕に何か物事をつづけていく根性がついたとか、そういうことではないと思う。

自分がこれまでにやってきていることでも、全てがというわけではなくて、つづいていることはつづいていて、つづいていないことはつづいていない。

だから基本的に飽きっぽくて三日坊主でナマケモノな自分は変わっていなくて、それでもつづけられるくらい楽しいことが単純に残ってつづけられているだけ、なんじゃないかと感じる。

生きることもそうだし、生活することもそうだけれど、基本的にはある決まったパターンをつづけていくということをいろいろとやっているわけで、そこにつまらなさを感じるか、あるいは小さくても楽しさを感じるかで、人生はだいぶ違ったものになる。

僕は自分が好きで楽しいことなら、他人から見たら地味で退屈そうなことでも、割とコツコツと淡々とつづけられるし、つづけることそのものを楽しめている自分がいることにもつい最近になって気づいた。

毎日のように同じことをする、何かをつづけるとはいっても、全く同じ日というのはないし、文章を書くにしても、イラストを描くにしても、ラジオで話すにしても、ほぼ毎日のようにやっているけれど「退屈だなあ」と感じたことは不思議だけど一度もない。

それはきっと毎日のようにやりつづけても退屈だと感じないことを見つけられた、ということでもあるだろうし、それはとてもとてもラッキーなことだとも感じている。

そもそも退屈だと感じているのは、自分がそう感じているから、目の前の現実が退屈に見えているだけで、そうであれば自分次第で退屈でない現実もつくろうと思えばつくれるわけである。

思えばここ数年間は、自分で自分の好きなものを、取り戻すというのか、探すことばかりをずっとしていたように思うし、あーでもないこーでもないといろいろとやっては、「これじゃないなあ」とか、やっても1回きりでやめちゃうこともたくさんあった。

そうやって、トライアンドエラーでもないけれど、気持ちの向くままにいろいろとやってみて、ちょっとずつ今の自分がつづけていることを拾い集めてきた。

だから、今の自分がつづけていることは自分の宝物と言えばいいのか、「飽きっぽくて三日坊主でナマケモノの自分でも楽しくコツコツとつづけられること」だから、僕からしたらとても貴重なものになっているわけである。

僕にはそもそも根性がないというのか、やりたくないこと、楽しくないなあと感じることはつづけられないし、正直つづけなくてもいいと思っている。

それよりだったら、自分が好きで楽しくてずっとつづけられること、「頑張って無理しなくても自然とできること」をやりつづけていく方が人生は楽しいし、幸せだし、もしかしたら誰かの、何かの役に立てたりするかもしれない。

だから、これからも僕のすることは変わらず、そんなに大きくて派手なことではなく、むしろ小さくて地味なことだけれど、自分が好きで楽しいことをコツコツと淡々とつづけていくことだろうし、その「つづけていくこと」に幸せと感謝の気持ちを感じながら日々を楽しく過ごしていきたい。



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