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「マジメ」に気づいてちょっと手放してのびのびとしてみることについて

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僕は自分を「マジメな人間」だとは、一度も思ったことはない。

けれど「マジメな部分」はちょっとはあるかもしれない、というのか、自分でもマジメだとは思わずに意識的、あるいは無意識でやっていることがあるようにも感じる。

例えば「こうするべきだから」とか「普通はこうだから」とか「みんなそういうものだから」みたいな考え方も「マジメ」といえば「マジメ」な感じがするし、そういうのにとらわれすぎて疲れたり、イライラしたり、落ち込んだりするということがたくさんあった。

自分としては「マジメ」という感覚はないのだけれど「みんなやっているし、やらないとダメな人間と思われそうだし、こうしなきゃいけないのだろうな」と思ってやっていることって、実は多いのではないかと思う。

多分、普段の自分を客観的に見る、別の人間として見てみると「うわー、なんかマジメだなあ」とか「人のこと気にしすぎ」とか「それ、考えすぎ」みたいに感じるのだろうけれど、まあなかなか難しいというか、そういう客観的な見方を持とうと思っていても自分に染み込んだ「マジメ」は無意識についつい発動してしまう。

自分が時に「マジメ」になりすぎているのではないか?と思うようになったのは実はつい最近のことで、自分がマジメな人間だと思ったこともないし、それでいて人の言動や態度に疲れたり、イライラしたり、やたら落ち込んだりということが、なんともしんどかった。

「どうしたものかなあ」と悩んでいたときに、ふと「あれ?もしかして自分は、自分が思っている以上にマジメに考えすぎているのではないか?」ということに気づいて、固定観念とか常識とか普通とか「こうでないといけない」「こうあるべき」みたいなことに「そうだよなあ、そうしないといけないよなあ」みたいにマジメに縛られて、従って行動して、やっぱりそれって無理があるものだから、疲れたりイライラしたり、ちょっとしたことで落ち込んだりするわけである。

もちろんマジメがダメなことだとは思わないのだけれど、変にマジメに考えすぎる、しかもそれが常にとなると、やっぱり精神的にも肉体的にもキツくなってくる。

それでいて自分のマジメに気づけないと「なんでこんなにやっているのに」とか「自分だけこんなしんどい思いをしているのに」みたいな、ネガティブな感情が出てきて、ダークサイドに落ちそうになってくる。

だから、なんか疲れたりイライラする、気分が沈むなあと、いつもの調子が良い時の自分とちょっと違うなと感じる時は「もしかして自分のマジメが発動しているのかも」と自分の思考とか行動を、一歩下がって見てみるというのか、客観的に見て軌道修正をするというのも大事なことだと思う。

まあずっと染みついた固定観念とか常識とか普通を手放すということは、簡単ではないのかもしれない。

けれど、そこばかりを気にしすぎると「マジメ」も行き過ぎになったりするわけで、そうなるとやっぱりいつもの自分というのか、本来の自分から離れてキツくなるから、疲れた時は「マジメになりすぎていないか?」と自分を見つめ直す時間もつくりつつ、のびのびと生きることもやっていきたい。

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