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心のモヤモヤの種は、自分の外側でなく内側にあることについて

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12月に入ってから、またメンタルの調子が良くないと書いたばかりなのだけれど、今ではもう調子が戻って、通常運転という感じで日々を過ごせるようになった。

自分でも最初は「これはまた、しばらくかかるかなあ」と、どんよりしていたのだけれど、思いのほかリカバーが早かったので自分でもちょっと驚いている。

なんでまた、こんなにメンタルがどーんと落ちたのに、またぐーんと戻ってこれたのかについては「これだ」というのは自分のことではあるものの、よくわからない。

ただもしかしたら、昨日のなんとも不思議な夢を見て、「なんだ、もう少し先の自分は精神的にめちゃくちゃ落ち着いているじゃないか、だったら今から自分もそうなろうっと」みたいに、無意識に思ったのかもしれない。

なんというのだろう、これからの自分の在り方というのか、ロールモデルと言えばいいのか、そういう存在を、まさか夢で見つけるとは思いもしなかったけれど、たいていのことをすぐ忘れてしまう自分にしては、あまりにそのことを具体的に覚えていたので、これはやっぱり何かあるんじゃないかと感じているわけである。

メンタルの問題、心のモヤモヤというのはどうしても自分の外側に原因があるんじゃないかと考えがちというか、何かのせい、誰かのせいで自分は今こうして、メンタルの調子がよくなかったり、モヤモヤしているのだと思っていた。

もちろん、僕が適応障害になった時は、そのころの職場の環境という、自分の外側にも原因があったのかもしれないし、そこから離れたら自分の精神もちょっとずつ落ち着いたから、自分ではどうにもできないこと、自分の外側に何かしら自分の心をモヤモヤさせる種みたいなものはあったのかもしれない。

ただ、今になってようやくそう思えるようになってきたことかもしれなけれど、それは何かというと、基本的には、そういう心のモヤモヤの種というのは、外側というよりも、自分の内側にある方が多いんじゃないかということである。

なんでかというと、自分の目の前に存在することは、ただの事実であり、それをどう見るかあるいはジャッジするかというのは自分次第であり、ジャッジしているのも、また自分だからである。

それは例えば自分よりも上とか下とか、自分より優れている、劣っているとか、これは良い、良くないなどなどいろいろあるけれど、全ては自分がその物事に色づけしているというのかジャッジしていてそうすることで、そこに反応する、つまり喜んだり、がっかりしたりということをするわけである。

だから、何かの原因を外側に求めるというのか、何かのせい、誰かのせいにしても心はいつまでたっても休まらないというのか、自分の物事の見方というのか捉え方、つまりは色をつけない、ジャッジしないように自分の心、自分の内側をシフトしていかないと、これからもなかなかにキツいのではないかと気づいた。

例えば雨が降っているというのは、ただの事実で良いも良くないもないのだろうけれど、そこに「今日は出かける予定だったのに、なんで雨が降っちゃううんだろうなあ」と思うと、そこには多少なり「雨が降る=良くない」というジャッジをしてしまっているわけで、そうなると気持ちもがっかりしてモヤモヤする。

まあ、極端な例えかもしれないけれど、そういうことなんじゃないかと僕は思う。

「今日は出かける予定で雨が降っているけれど、まあ行けないほどではないし、晴れの日もあれば雨の日もあるものだ」

くらいに思えれば、変に気持ちもモヤモヤせずに、割と心もフラットに、日々を過ごせるんじゃないかと思うし、そういう積み重ねが心を穏やかに落ち着かせていくだろうから、そういうふうに自分もこれからシフトしていきたい。

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