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「信じる」というよりは、「そういうものなんだろうな」という感覚について


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「信じる」という言葉は、なんというか僕のイメージとしてとても強い気持ちが入っているような言葉のように感じる。

誰かを信じる、何かを信じる、まあいろいろとあるわけだけれど、なんというか普段の生活に信じるという言葉がどのくらい入っているだろうか?とたまに思う。

自分には何かしら確固たる信念みたいなものは特にないというのか、「心穏やかに、この世界をいろいろと経験して楽しく暮らせたら幸せ」という気持ちでいるから、あんまり信じるという言葉を意識することがない。

例えば僕はスピリチュアルなことはよくわからないけれど、そういう不思議なこと、と言えばいいのかもしかしたら不思議でもなんでもないのかもしれないけれど、そういういわゆる「世間一般的」に見たらなんだか不思議だなあということに興味がある。

だから、いろんな本を読んでみたり、動画を見たり、そういう話を聞いても全く心から抵抗感が出てこないというのか「そんなわけないじゃん」みたいな気持ちが自分にはないということに気づいた。

とはいえ、そういうスピリチュアルなことを信じているか?というと、うーん信じているというよりは「よくわからないけれど、そういうものなんだろうな」というくらいの気持ちでいる。

だからどっちつかずというのか極端な言い方をすれば、どっちでもいいというのか、ものすごい信じているというわけでもないし、否定的なわけでもない。

そもそも、この世界で説明のつかないことなんて、そりゃあたくさんあるだろうと思うし、人間がこの世界の全てのことを理屈にできるというのか理解できるということの方が不思議だと思う。

それに全てのことが「これはこうでこうでこういうことだから」なんて説明がついてしまったら、とてもつまらないし「うわあ、不思議だなあ」ということがたくさんあるからこそ、この世界は楽しい。

だから自分としては、割と何事にも「そんなバカな」とか「そんなのあるわけないじゃん」みたいに最初っから頭で決めつけるのは、なんだかもったいないというのか、つまらないなあと感じる。

だから、そういうスピリチュアルなことも「へえ、そんなふうになったら、なんだか面白そうだな」みたいな子供のような好奇心でその世界に飛び込んでみる感覚でいる。

実際そうやってオープンでいた方が、楽しいことも多いし、最初っから決めつけないでゆるく「ヘえ〜そういうこともあるかもね〜」という気持ちでいた方が、いろんな経験ができるというのか、学びとか気づきも多いし、自分の世界も広がってくる。

信じるということも、強くなりすぎると見える世界も小さくなってしまうように感じるし、できることも少ないというのか、自分で制限をかけてしまうように思う。

信じるから良いとか、信じてないからダメということではなく、もうちょっとニュートラルなスタンスでいるというのか、物事は一歩下がって見るくらいでいた方が僕としてはちょうどいい距離感に感じている。

なのであまり決めつけすぎず、のめり込みすぎず、「そういうものなんだろうなあ」という軽い気持ちでオープンに、自分の世界を広げていきたい。



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