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自分の行動が誰かの笑顔につながるかもという幸せについて


(※今日の内容を音声で楽しみたい方はコチラからどうぞ(^^)↓)


今の自分の日々の生活ですることというのか、行動を見てみた時に、自分のためというよりも誰かのために動くことがちょっとずつ増えてきたし、誰かのために動くことを楽しめるようにもなってきた。

毎朝のトイレ掃除とモップがけ、洗濯、片付けとか整理整頓、まあ全て趣味というのか自分が好きでやっていて誰かにお願いされてやっていることではないのだけれど、それでも家族のみんなが気持ちよく生活してくれたらと思うと嬉しいというのか幸せな気持ちになるから、続けるモチベーションにもなっているように感じる。

これが若い頃は全く逆で、何もかもめんどくさいと感じていたし(めんどくさがりは今も変わらないけれど)掃除とか洗濯も片付けも出来るだけやりたくなかったし、自分のやりたいことだけをやりたくて、今やっているようなことは全くと言っていいほどやっていなかった。

なんというか自分最優先というのか、人のためとかはほとんど考えていなかったように思うし、「誰かがやってくれるだろう」とか「なんで自分がやらないといけないんだ」くらいに感じて自分のやりたいことだけをやっていた。

もちろん自分を大事にすること、自分のやりたいことを自分にやらせてあげるということも必要なことではあるし、今の自分も意識しているところではある。

けれど、なんというか自分のやりたいことだけやって笑顔になるのも楽しいけれど、自分のやったことが誰かのためになって、誰かが笑顔になってそれで自分も笑顔になるという経験もしてみると、これがまた嬉しくて楽しくて、幸せを感じることだと気づいた。

まあ「誰かのためにやるぞ!」みたいな気持ちでやっているというよりは、自分ができそうなことを、できる範囲でやってみたらそれが誰かの役に立っていたという感じで、力は全く入っていないし、なんというか自分が無理をして、誰かのために動くということはやっていない。

そういうことをすると、たとえ誰かが喜んだとしても自分が消耗してしまうというのか、精神的にすり減ってしまって「これだけやってあげたのに」みたいにいずれダークサイドに落ちるのがわかるから、僕の人生においてはもう「頑張らない、無理はしない、急がない」というのは心も体も健全であるために最重要と言っていいくらい大事にしていることでもある。

それこそ、最近だと家のまわりに砂利をしいたり、網戸を張り替えたり、コツコツと小屋の片付けをしたりとか、何かのイベントのお手伝いとか、庭掃除とか何かしらやっている。

けれど、自分としては自分ができることを楽しみながらやっているだけだし、まあ自分のためにやっているわけではないけれど、結果として誰かが喜んでくれたり、笑顔になってくれると「ああ、やってよかったなあ」と幸せな気持ちになる。

なんというか自分が好きで楽しくてやっていることが、誰かの役に立ったり笑顔になること、そういう人生というのか生き方っていいなあと思うし、そういう誰かの笑顔につながるかもしれない生き方をこれからはやっていきたい。


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