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暴力

悲しい出来事が起こった。
他人事ではないと思い、考えてみた。

今の世の中は情報社会で新聞やテレビからだけでなく、snsからも情報を得ることができ、今の生活に切っても切れないものになっている。
震災の際にはメールなどが通じないことがあったが、twitterなどは動きいろいろと助けてくれることもあった。

なによりもsnsの特徴は人々の距離を縮めること。
ここ数年若い人からお年寄りまでsnsを利用しているため、著名人、企業が宣伝で活用することが増えた。
ファンの方は応援している人、企業ががどんなことをしているか知ることができ、応援してもらえる側も生な声を聞くことができ、学び、励みになることが多い。
自分もsnsを利用していて、応援メッセージなどを送ってもらえると非常に励みになるし、なにより嬉しい。

しかしここ数年snsでの犯罪や誹謗中傷が増え、問題になることが多い。

物事に関して、いろんな意見が存在し、それを主張することは何も間違いではない。
例えばある人間が間違った行為をしたら、周りの人間や応援している人間が反応をして言葉を届ける。
それによって気付くことができ、学ぶことができる。
しかし一部の人間が逸脱した言葉を投げかけている。
具体的にいえば、「死ね」「消えろ」などという言葉だ。

なぜ「死ね」「消えろ」という言葉が簡単に発せられるのか。
自分には理解ができない。
そして悲しいが、今後もこのような言葉を投げる人間はいなくならないと思う。
なぜなら
・誰もが始めることができるsnsだから、言葉を発することに関しても重み、責任無くなってきているため
・言葉の影響力に対し想像力が落ちてきているため
・顔や名前が隠れることで気が大きくなり言ってしまうため
このような点が上げられる。

芸能の仕事は人に観てもらい評価をしてもらって初めてお金になる。
だから少なくともそれ相応のリスクを覚悟して人前に立っている。
それが怖いのであるならば自分は芸能という仕事は務まらないとも思う。

誹謗中傷を投げかけている人も上記と同じことを言う。
しかしそれはあくまで芸能の仕事をする上で必要な心構えであり、誹謗中傷を言っていいという理由にはならない。
心のない言葉は評価とはまったく別だ。
それは評価ではなくただの暴力だ。
暴力は決して許されることではない。

投げかけている人はもしそれが自分に返ってきたらどうだろうか。
家の玄関に顔も知らない人から「死ね」「消えろ」と書かれたらどう思う?
それが一つではなくドア一面に書いてあったら?
腹が立つ?悲しくなる?あるいは両方?
受け取り方はそれぞれだが、やられたことを想像して少しでも感じることがあるならばやめるべきだ。
どうか少しの優しさを持ってほしい。
ほんの少しの歩み寄りがあればこんなことは起きない。

たった、二文字、三文字の心のない言葉で人を殺めることができることを自分達含め自覚しなければならない。

今一度snsの存在について考え直さないといけない時がきていると自分は思う。

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