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蓄音茶屋にて 〈序〉

ぼくには行きつけの場所がある。
山あいの駅を降りてしばらく歩くと、紫色の小高い丘の上に、一軒の庵がある。

庵には、マスターが一人。
ハンガリーの作曲家、バルトーク・ベラの魅力を僕に初めて教えてくれた人だ。
ぼくよりずっと年上だとは思うが少年のようにも見えるその人は、電気のいらない音再生装置をいくつか、時代をこえて守ってきた。
いや、あるいは未来の機械かもしれない。
人間が再び本当に音楽をたのしむようになる未来から、わざわざ運んできた、ような気もする。

マスターはその機械を使って、ぼくに古今東西の音楽を聴かせてくれる。
この機械で聴く音楽はどれも、不思議とどこか懐かしい。
特にアラブの音楽。南仏の音楽もだ。
砂漠を焦がす強い日差しや、地中海の水面を吹き抜ける風のにおいまで、その機械は再現してくれる。
ウィーンの前衛アルノルト・シェーンベルクの無調の音楽は、じつは人間の歓喜の歌なんだと教えてくれたのも、マスターだった。

大きな金木犀が青々と生い茂るこの庵を、いつしかぼくは「蓄音茶屋」と呼ぶようになった。

どんなに早く訪ねても、帰る頃には、苔むした飛び石が夕陽に染まっている。
この部屋に入ると、時間の流れがちょっと変わってしまうようだ。

ときおり、本当に蓄音茶屋はこの世に存在しているのだろうか、と錯覚することがある。
でも、ぼくの心身を音楽が電気のように流れるあの感覚は、いつだって確かだ。

マスターが教えてくれたことは多岐にわたる。
そして、これからもまだまだ未知の世界を教えてくれるのかもしれない。
記録のためにも、教わったことを少しずつ不定期に綴ってみようと思う。
もともと不定期な投稿だけど。

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