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安倍晋三元首相が、凶弾に襲われ、亡くなられましたこと、非常に残念に思います。お別れにあたってご冥福をお祈りするとともに、安倍さんのご功績に、ありがとうございました、と感謝を申し上げます。          
安倍さんと私の共通点といえば、吉田松陰先生を尊敬していることです。
私は、松陰先生の功績なければ、長州藩の幕末の活動はなく、長州藩なければ、維新の大業、近代日本の創成はなかったと思います。近年は、幕府擁護の論調もありますが、徳川本家の私政である幕府体制は、「広く会議を興して万機公論に決す」という民主主義の精神とは相容れないものでした。

安倍さんは、学者の家を継ぎ、思想家として人生を終えた松陰先生と異なり、首相を長期間担当されたわけですから、当然、多くの実績が挙げられます。単に理想を掲げるだけでなく、それを実現させていく方策に心をくだかれたと思います。その意味では、マキャベリストであり、リアリストであったと思います。ただ、思想信条という軸をしっかり保ち、現実に対応していく、このことは安倍さんが、「変わらないためには、変わり続けなければならない」という真の保守政治家であったと思います。

私は、国の政治家のしごとというのは、経済と安全保障と考えています。この意味でも、安倍さんは、経済政策を練りに練り、アベノミクス、3本の矢を掲げ、日本経済を再生させました。地方の政治家というのは、安全保障を所管するものではありませんが、経済はやはり重視していかなければなりません。私が、技術・資格取得による収入増、まちの活性化による振興、事業主へのイノベーション支援を重視するのは、こういった理由によります。

安倍さんの死は、悲しく、残念なものですが、松陰先生の亡骸を担いだ高杉晋作はじめ、その子弟が維新の大業を成し遂げたように、安倍派や自民党の政治家の方々の奮闘によって、拉致問題の解決、憲法改正など、安倍さんの志が実現されることを願います。自民党の一地方議員の私ですが、その一助となるべく、力を尽くして取組みたいと思います。

今週、関西を訪問していた私は、7月4日、生駒市役所の後、近鉄の西大寺駅に立ち寄りました。6日には、八尾市役所のあと、写真のみせるばやおを訪れ、安倍さんが当地を訪れた際の写真を撮影しました(上写真)。凶弾の知らせは、その2日後でした。偶然にすぎませんが、松陰先生のお導きであったかもしれません。

安倍晋三さん、難病と闘いながらのご奮闘、大変お疲れさまでした。
そして、ありがとうございました。

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