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今になって思う、”サッカーは人生の縮図”だったと。

あけましておめでとうございます。
弊部の部員ブログにて、ちょうど年明け一発目に順番が回ってきたので書きました。
その内容を自分のnoteでもアップしようと思います。

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タイトルにもあるように、「サッカーは人生の縮図だ」という言葉を耳にしたことがある人も多いのではないだろうか。調べたところ、あのイビチャ・オシム(元日本代表監督)も言っていたみたい。

ちなみに私がこの言葉を初めて聞いたのは、当時所属していた大阪桐蔭高校サッカー部のコーチのありがたいお話だ。その言葉を聞いた当時の私は、ピンとはこなかったが、感覚的にカッコいい言葉だなという印象を受けた。

そんな印象があったからか、立命館大学サッカー部で過ごす4年間において、この言葉をふと思い出す瞬間がたまにあった。しかし、深くは考えずに4年が過ぎ、引退した今思う、「人生の縮図だった」と。


4年間の集大成として綴る本文では、なぜサッカーは人生の縮図だと思うのかについて書こうと思う。

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このテーマについて考えるにあたりいきなり疑問が、、、

“そもそも「人生」とは何なのか?”


これについて熟考した結果、
万人に共通した人生の定義みたいなものはない、というのが私の考えだ。
なので、自分の人生に深く向き合ったことのなかった高校時分の私は、サッカーが人生の縮図だという言葉にピンとこなかったのだろう。


しかし、ありがたいことに大学に進学させてもらい、これまでとは違いサッカーとは無縁に生きてきた多くの人々と出会った。さまざまな価値観に触れ、4年間の中で「自分における豊かな人生ってこんなんちゃう?」みたいなものが自身の価値観としてぼんやりと形成されていた。
引退を迎え、それらをサッカーと照らし合わせた時、これまでの約17年間のサッカー人生には「人生を豊かにするヒント」がたくさんあったなと感じた。
今回は、人生を豊かにする数あるヒントの中から厳選した4つをお伝えしたいと思う。

とはいえ、文が長くなってしまうので(読者の離脱を恐れ)一番読んでいただきたい4つ目から最初に話そうと思う。

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④目的の重要性(夢の偉大さ)


サッカーをやっている多くの人の幼少期の夢はこんな感じだろう、「プロサッカー選手になる」あるいは「W杯で優勝する」など。(現在新たな夢を探している)今になって思うのは、語れる夢があるのはすごく幸せで恵まれていることだったと思う。幼い頃、意識はしていなくても自分の中での憧れや理想像があり、それに向かって苦楽を乗り越え努力する。そんな夢や目標の偉大さについては説明不要かと思うので、今回はもう少し現実的な話をする。

私は、大学2回生の夏に長年追い続けてきた「プロサッカー選手になる」という夢を目指すのをやめた。


なにもネガティブな選択だとはこれまで一度も思ったことはない。

大学4回生としてのこの1年間、私は、「プロを目指さない今、大学サッカーのどこに価値を見出し、なにを目的に努力するのか」という問いについてかなりの時間を費やして考えた。
これに対する答えは個人差があると思うのでここでは書かないが、特に弊部の後輩たちに伝えたい大切なことがある。

“自分なりの目的(なぜ大学サッカーをするのか)“を見つけ、それを所属組織の全体目標(理念やビジョン)とすり合わせた中で、自分のできる組織への貢献とは何なのかを考え、行動することをやめないで欲しい。
これはプロを目指そうが目指してなかろうが関係のない話で、全メンバーがそうあるべきだと強く思う。


これって、社会に出ても全く同じことが言えるのではないだろうか。

プロになりたいけど現状はBチーム、プロを諦めたけどCチームでサッカーをしている、繰り返す怪我でなかなかサッカーができない、など、100人いれば100通りの状況がある中でそれぞれが自分自身の中に目的を見出し、そこに確かな価値を感じ、組織に貢献する。

弊部も、いつかそんな素晴らしい組織になってほしいと願っている。
(昨年のB2チームはいいレベルまでいったんじゃないかな?笑)


①喜怒哀楽の感受と表現の総量


喜怒哀楽の感情のインプットが多く、またそれを豊かに表現するような人は魅力的でかっこいいなぁと思う今日この頃。

サッカーにおける喜怒哀楽は、試合中のさまざまなシーンで起こる。ゴールした時に喜び、自身のミスに憤り、指導者の苦言で落ち込み、それでも仲間と勝利を目指すことを全力で楽しむ。
これらの感情を全身でアウトプットする。時には外人のようにジェスチャーしたり、声を大にして表現する。そんなシーンを想像しただけで、スターバックスにて本文を執筆している今でもワクワクしてくる。


喜怒哀楽豊かに表現した結果、意見の衝突や、監督との論争、仲間と泣きながら抱き合って勝利を喜んだり、殴り合いの喧嘩が勃発したりと、いろんなことを経験してきた。

それら全部含めて、「人間」って感じがしてどれも大好きだ。

サッカーを通して感情を豊かに表現できるようになり、また時にはその感情をコントロールすることに努めた経験も、すべてこの先の人生を豊かにするための素晴らしい経験になったと思う


②自己犠牲の精神


人のために行動するってとても素敵なことで、人のことを想ったり、人のために何かをしている時点で自分の時間をその相手に使っていることになる。そんな人生って、豊かで幸福度が高いと勝手に思っている。

サッカーにおける自己犠牲の場面とはどのような時だろう。

守備では、勝利のために恐怖心に打ち勝ち、時には痛い思いもしながら全身で守る。攻撃では、味方がフリーになるために長い距離を走ってスペースを作ったり、FWであれば相手を背負ってつぶれ役になる。個人的にフリーランのプレーはすごく好きで、地味だけど得点シーンを映像で見返した時にその恩恵に気付く。

試合以外の所でも、走りメニューで体力のない仲間の背中をみんなで押して完走したり、連帯責任が当たり前の世界で、仲間のために一緒に反省文を書き、練習をせずに草刈りをしたりした。(高校時、友達の携帯所持がバレた時のこと。私の在学した高校は携帯所持禁止だった。ちなみに恋愛禁止と生徒手帳に記載されていることも余談として言っておく。)


それぞれの弱みを補い合いながら自己犠牲の連鎖で味方の強みを引き出し、90分間全員がチームの勝利のために身体と精神を削って戦う素晴らしいスポーツだと思う。


③周囲(人・環境)への感謝


人に感謝して、感謝される人生、「ありがとう」の循環が身の回りで起こっている人生って最高じゃないかと。

サッカーは一人で成り立つスポーツではない、なおかつチームスポーツだ。
また、多くの人の支えで好きなことをやれているということを忘れがちになる。

周囲の支えを一番感じやすいのは公式戦などの大事な試合だろう。あんなに目に見える形で声を枯らしながら人に応援されることってなかなかない。反対に、応援している側は2つ目で話した自己犠牲の精神全開だ。その試合の運営には、審判団やサッカー協会、施設管理者などのチーム外の人たちが関わっており、サポートしてくれる家族がいて、そんな空間にいるとめちゃめちゃ“エモい”感情になる。

当たり前なようで実は当たり前ではないことに感謝をすることがとても大事で、そのヒントがサッカーに限らずスポーツにはあると思う。


感謝されるより、圧倒的に感謝することが多いこれまでの人生だった。
サッカーを通じて多くの人に支えられていたと感じる今だからこそ、これからの人生は人に感謝をされるような生き方をしたいと思うようになった。



以上4つが、私の考えるサッカーを通じて得られる人生を豊かにするヒントである。
これらはあくまで私の個人的な価値観をもとに考えたものであり、豊かさや幸せは人それぞれ違うものだと思う。


しかし、間違いなく言えることがある。

サッカーというスポーツで経験したことの全ては、今後の人生において一生の財産として自分の中で生き続けることになるだろう。


そんなこれからの人生が今から楽しみで仕方ない。


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長々と拙い文章でしたが、最後まで読んでいただいた皆様方、本当にありがとうございました。

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