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認知症の人とのコミュニケーションにおける合理的配慮について

今回は、認知症の人への支援から見た医療倫理の4原則の3つめの要素として、患者の利益について、認知症の人に当てはめて考えていきたいと思います。以前の記事では私はこのように書いています。

“3.利益の原則については、「患者の利益を促進し、福祉を増進すること。疾病の予防、治療、または健康状態の改善を目指す行動が含まれる」とされています。 ➡認知症があると申告すると、「これ以上の治療は無駄である」「本人の意向を無視する」ことにより、本来受けられるはずの治療が受けられなくなることがあります。”

利益というと、プラスになるイメージがあるかもしれません。医療の場合は、マイナスをゼロに近づける努力をするようなイメージと考えています。病気があれば、それを取り除く。取り除けなければ、改善させる。改善させられなければ、維持をする。

Il guerit quelquefois,
Il soulage souvent,

Il console toujours ♫

ときには治せることも
しばしば救えることも
しかし癒すことは常にできる ♫
(訳者不明)

認知症だとしてもらえない医療

認知症の診断があると、治療が受けられないと一方的に判断されてしまうこともあるのです。
また、医師によっては、予防できる服薬があったとしても、同居人がいるなどしてちゃんと飲めないのであれば、薬は出せないといわれることもあります。
なんとなく、それで納得してしまう方も多いと思います。
でも、ちょっと考えてみてください。同じ土台に乗っていない人が、「こういうことができないのなら、治療は受けられない」というのは、どうなんでしょうか?
障害のある人が、その分の支援を受けることは、特権なのでしょうか?

誰のマイナスをプラスにしようとしているのか?

通常、病気になると、本人の病気や障害という身体の不具合、生活への支障を改善させることに全力を注ぎます。一方で、認知症の場合は、家族や周囲の人が負担に感じて、その人たちのマイナスをゼロに近づけるようなかかわりが行われることがあります。これを医療の現場で行うと、ボタンの掛け違いが起こってきてしまいます。つまり、周囲の人が、認知症の人をコントロールするような要望が出てくるのです。まるで二人羽織をするように、家族の話を聞きながら本人への治療を行うようなことが起こります。

合理的配慮

障害に対する支援については、障害者総合支援法にて、「合理的配慮」として認められている権利です。「合理的配慮」とは、「障害者が他の者と平等にすべての人権及び基本的自由を享有し、又は行使することを確保するための必要かつ適当な変更及び調整であって、特定の場合において必要とされるものであり、かつ、均衡を失した又は過度の負担を課さないものをいう。」と定義されています。たとえば、役所に入る場合に階段しかない場合は、車いすの人は、役所に入ることができません。それは、当然の権利としてのスロープが準備される必要がある状態であるといえます。ただし、近所の飲食店が2階にある場合、そこにエレベーターを付けてほしいというのは、過度の要求となる場合もあります。ですので、過度の負担にならない程度という文言が含まれています。

一方で、認知症の人の合理的配慮については、障害者総合支援法には明記されていません。
なぜ障害を持つという状況は同じであるのに、認知症とそれ以外の病気では異なる法律が必要となるのか、ここにも大きな課題があると思います。
以前私は、認知症の人への合理的配慮について考えて、MEDプレゼンという場で発表したことがあります。

https://medjapan.org/defact/ishiharatetsuro/

合理的配慮の先にあるもの

この動画の中で、合理的配慮を受けた辻井さんが得たのは、周囲の人に自分の状況を伝えることができるという当たり前の権利でした。これまでは、書字をする、読むということの障害が適切に評価されず、本人はコミュニケーションができない人としてみなされていました。
しかし、そんなことはなかったのです。それを可能にしたのは一人のソーシャルワーカーでした。何時間も何日もかけて、彼の言いたいことを原稿にして、本人に渡しました。そうすることで自分の思いやしたいことなどについて人前で話すことができるようになったのです。

合理的配慮がないとどうなるか?

「ジョニーは戦場に行った」という本・映画があります。ずいぶん古い映画ですが、従軍している最中に爆発に巻き込まれたジョニーは、四肢麻痺、発話機能も失います。できることは首を動かすことだけ。必死でコミュニケーションを取りたいと首を動かせば動かすほど、医師は痙攣と判断して鎮静剤を打ちます。

あるとき、軍の医師団がジョニーのもとを訪れたとき、ジョニーの首の振り方が、SOSであることに気が付きました。
この映画は、反戦映画として作られたものですが、本人のコミュニケーション方法を学ぼうとすることの重要性、本人とコミュニケーションが取れるはずだと、方法を考える姿勢、観察からの気づきの重要性について深い示唆を与えてくれると思います。


認知症の人の利益になる医療を始めるために

多くの人が認知症の人とのコミュニケーションについて、難しいと思ったことがあると思います。しかし認知症の人の利益になる医療は、一人ひとり異なります。その異なるニーズを理解することから、認知症の人の利益になる医療は始まると思います。そして、認知症の人の利益になる医療は、周囲の人の利益にもつながっています。
そのためには、認知症の人への合理的配慮について、もっと話し合う機会を設けられたらよいのではないかと思います。




図解でわかる認知症と制度・サービスでは、認知症の人の意思決定支援についてわかりやすい解説をしています。こちらは、新聞が読める方には読んでいただけるぐらい平易な文章で書かれていますので、よろしければ参考になさってください。


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