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「AIに仕事奪われる」論について

「AIに」がダメなのか「奪われる」がダメなのか

これだけ流行ならば、仕事にも活かせる部分があるかもしれないと思い、個人的にChatGPTやAI画像生成に触れています。
それで確かに、「凄いな」「楽しいな」というのを感じます。

で、その方面に感度が高いからか、その方面のWEB記事が目に入ったりするわけですが、「AIに仕事奪われる」がよく論じられていますよね。

実際中国のスマホゲーの現場では、イラストレーターが解雇されたとかで、もう奪われてるというような記事も読みました。

あんまりよくわかっていないのが、「AIに仕事奪われる」論って、「AIに」が脅威なのか、「奪われる」が脅威なのかってことです。
当事者じゃないのでアレですが、やっぱ仕事を「奪われる」の部分なんですかね?

でもこれまでも、様々な要因で仕事は奪われてきたじゃないですか。
使えないなおっさんはイケてる若手に奪われるし。
高いだけのサービスは他社に乗り換えられるし。
国内の○○工場は海外の安価な工場に太刀打ちできない、みたいな話とか。
「若者の○○離れ」だってそう。

「AIに」が受け入れられないのか?

そう考えると「奪われる」のは今に始まった話じゃないので、「AIに」の部分が脅威なんですかね。
「別の誰か(人間)ならまだしも、AIに奪われるとは・・・」、みたいな。
それが各所で盛んに論じられる所以?

それとも本当は「奪われる」に重きがあるんだけれども、「AIに」という部分を強調することにより、「AIならしょうがないか、だって凄いんだもん」という目眩ましで、「奪われる」ことを暗に正当化しようとしている?

ただ、もともと「持たざる者」には関係なかった!

AI画像生成でいうと私はもともと「持たざる者」、絵心無しマンなので「奪われる」ものなど無く、むしろ「与えれた者」になりまして、ありがてぇありがてぇしかないです。

「持たざる者」的に言うと、絵心有りは、それがAIだろうが人間だろうが「凄い!」以外の何者でもないのです。
仕事は奪われるのかもしれないですが、絵心は奪われないですからね。

絵心が無いと、図の作成のセンスも無いんですよ。
例えば、ワークオンサイト!のFAQの説明図、私が作るとコレですが、

デザイナーさんに作ってもらうとこうなるわけです。

センスしか感じないですね。
流石とか。

最近で言うと、中村倫也さん・水トちゃんの結婚報告のイラスト、あれは絵心有りですよね。
画風もいいし、似てるし。

大体なにかしらの時に、ちょっとイラストが入っていたりすると、センスいいな!ってなりますよね。
そういう小粋なやつ、これはAIには無理だと思うんですよ。
それはその関係する人が自分で描いたってのがいいのであって、なんぼ美麗でもAI生成では意味ないじゃないですか。

仕事は奪われるかもだけど、価値自体は変わらない

「挿絵のセンスあっても仕事が無かったら意味ないだろ!」
って言われたらそれはその通りではあるんですけど、
「AIに仕事奪われた。自分はもうダメだ。」
ってのもちょっと違うんじゃないか、という話です。

AIがどうあれ、自分自身の価値は減損しないわけで。
「AIに仕事奪われる」脅威についてあれこれ考えるより、
AIに仕事は奪われる前提で、じゃあ今持っている価値をどう高めよう、どう磨いていこう、どう見せていこう、のほうが建設的だと思うんですよ。

そもそも「AIに奪われない仕事」っていうのも、その評価軸で良いのか?とも思いますしね。
AIに奪われない=いい仕事なのではないですよね。
AIがどうあれ、社会や顧客に対して貢献出来ているか、役に立ってるかが大事ですよね。

でもまぁ、とりあえずAIに奪われず、安心して仕事したいという方にはIT系オンサイトワーク業界をオススメしておきます。
「AIに奪われない」という点は、まず間違いないです。




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