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今更ですが「ヴィラン」っていいよね

一周回って、最近また「ヴィラン」っていいなぁと思っています。

ぶるってんじゃねーよ
多種多様の性

「ヴィラン」 歌詞

って出てくるぐらいなので、そういうテーマの曲なんでしょうが、個人的には

顔も知らない誰かにとって僕はもうヴィラン

「ヴィラン」 歌詞

の部分にすごい共感します。
日常、こういう感覚になる時があります。

中間業者たる弊社では、クライアントからのご依頼に応じて、現場作業が出来るワーカーの手配を行います。
ワーカーに関しては、可能な限りお会いするなり、WEB面談するなりしていますが、クライアントに関してはメールと電話のみで数年お付き合いしている方も多いです。
実際、クライアントもワーカーも顔を知らないままお付き合いしている方々が多数いらっしゃる、ということですね。

ネット物販などもそうなのかもしれませんが、顔も知らないままやりとりが続くと、言いしれぬ不安を感じるものです。
電話口やメール文面の裏側に潜む、感情の襞を読むことが出来ないと言いましょうか。

主に手配調整が上手く行かない時などは、「あぁ、今絶対にヘイト集めてるなぁ」と思うのです。
まさしくヴィラン。
僕はもうヴィラン。

これが自分が悪いこと、自分でなんとか出来ることならばまぁいいんですが、クライアント起因だったりワーカー起因だったりした場合、平謝りすることしか出来ません。
「自分だって、なりなくてなったこんな状況じゃないのに」というニュアンスも曲の中にはあるように感じますが、それです。
同じてにをはさん作の「ギラギラ」でも、神様が左手で描いたせいでこうなったというくだりがありますが、そんな感じですね。

なろうと思ってなったヴィランじゃないってことです。
だから最終的に糜爛してしまうという。

でも今の仕事が嫌いだとか辞めたいとか、そういう話でもありません。
職業選択の自由があって、誰に強制されるわけでもなく、自分で決めた仕事に就いているので、私の身の回りに起きる事象は、自己責任と言ってよいと思います。

隣の芝生は青く見えるといいますが、転職しようが、立場が変わろうが、大なり小なり似たようなことはあるでしょうしね。
だからこそ「ヴィラン」って曲は共感を集めているのではないかと。

畢竟、グチグチ言いながら、理不尽を感じながらも、目の前の仕事に取り組んで行くしかないということでしょう。
その途中でヴィランになってしまうことも致し方なし。
なんでも上手くいって、ノーストレスな仕事なんてないんだと思う。


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