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【仕事論】功狗功人

多分高校の古典の教科書にあったと思うのですが、未だに折々思い出す漢文があります。
時系列と同じく、「鴻門の会」のくだりの後に配置されていたような記憶。

元の漢文はリンク先を見ていただくとして。
おんなじ手柄でも、「狗の功」(犬の手柄)と「人の功」(人の手柄)があるよね、って話です。

超略:狩猟において、狗も獲物を捕らえるために働くけれども(実働)、狗が獲物を捕らえられるように指示したり準備したりする人もまた、働いているよ(計画・準備)

項羽を倒して天下平定した後、論功行賞の結果、劉邦が蕭何の功績が最も高いとしたことに、武器を持って戦った者たち(実働の人たち)は、戦ってない蕭何(計画・準備の人)が最高評価ってどういうことやねん!!ってなったわけですね。
それに対して劉邦が狩猟を例えにして諭したのが功狗功人のくだりです。

ここで注意したいのは、「人の功」だから蕭何が偉いっていうことを劉邦が言いたいわけではない、ということですね。(そのニュアンスもなくはないでしょうが)
蕭何は「人の功」もあるし、家族全員で劉邦を支援してくれたので、その恩に報いるよ、と後述もあります。
戦場に出なかったから功がないって、そういう訳じゃないよという教えです。

分をわきまえた人間でありたい

なぜ折々私が功狗功人を思い出すかといえば、今手掛けている仕事は「狗の功」と「人の功」のどっちの仕事かな?といつも自問自答しているからです。
そしてそれは、分別をわきまえるためです。

残念ながら、世の中には分別をわきまえられていない人が沢山います。
・どんな場合も「人の功」が偉いと思っている
・「狗」の仕事をしながら、「狗の功」は大したことないと思っている
・「人」の仕事をしているのに、「狗の功」の分まで誇る
・「狗」の仕事をしているのに、「人の功」の分まで誇る

どんな場合も「人の功」が偉いと思っている

上述のように、「狗の功」と「人の功」は役割分担であって、どっちが「功」が偉いとかではないのです。
己の役割を全うすれば、どっちも偉い。
そして役割分担なので、どちらが欠けても成立しないものです。
前後で言えば、先にくるのは「人の功」でしょうから、「人の功」ありきに思われがちですが、そんなことはない。
実行されない計画は絵に描いた餅です。

「狗」の仕事をしながら、「狗の功」は大したことないと思っている

「つまらない仕事」、「誰でも出来る」、「頭使ってない」。
自信がないとか、卑下しているとか、そんな感じだと思います。
つまらないかどうかはどうでもいいです、完遂しましょう。
誰でも出来る仕事なら、あなたも完遂しましょう。
単純作業でも、頭使ってはいけない決まりはないので、自分なりに頭使って何かを見出していけばいいんじゃないでしょうか。

「人」の仕事をしているのに、「狗の功」分まで誇る

「狗」の仕事をしているのに、「人の功」分まで誇る

この2つは勘違い系ですかね。
勘違いしているだけならいいんですが、「功」を誇りだすともう駄目ですね。
なにいってだこいつ、になりますね。
もちろん両方を手掛けている場合(自分で計画して、自分で実行する場合)もあるので、その時は当然両方の「功」を誇っていいかと思います。
やってないのにやってる感出して、余計に「功」を誇るのはどうかと思います。

分不相応はダサい

主に自分の、日々やっている仕事のこと思い浮かべながら書いていますが、
どんな業界のどんな仕事でも通ずる部分はあると思います。
例えば上司と部下、先輩と後輩、依頼元と依頼先、とか。

社内や取引先との関係で、「狗」になったり「人」になったり、場面は様々だと思いますが、今自分はどちらなのかきちんと把握して、分をわきまえるようにしたいものです。
分別をわきまえないのって、仕事が出来ない以上にダサくないですか?
能力じゃなくて、人間性の問題なので。
どんなに優秀でも、「わかってない」方とは仕事したくないですよね。

やや自戒を込め気味に書きました。
頼りになる上司とか、可愛がられる後輩とか、仕事が沢山舞い込む依頼先ってのは、おそらく無意識にこの功狗功人の振る舞いが出来ているんでしょうね。
普段からちゃんと出来ていると、たーまに役割を超えた具申をしても、「よっぽどなことなんだな、聞いてあげよう」ってなって、より評価を上げるんでしょうなぁ。

私はまだまだなので、意識してやるようにしています。
会社の「狗」であることには自信はあるんですがね!

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