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移ろうもの、変わらないもの。

誰かを想う。胸の奥にそのたたずまいを想起する。的確には描写できない。でもなんとなく漂わせる。時には強く印象付けられてるディテイルのみ取り出したりもしながら。自分がこの五感でとらえた対象を。ともに居たその時間・空間を包んだ、ともにまとった空気の色、味、におい、温度なんかを。


そうして得るなにかが、(とりわけ「あたたかさ」が)あたしにとって最大級の支えなのかもしれないなぁ、とふと今思ったりした。

そういえばたいていいつもそんな作業をしている(それも無自覚のうちに)と思う。
恋人や家族はもとより、気付けば本当にいろんな人やその人と自分との間にある漠然としたなにかを頭の中や胸の奥に思いめぐらせていて、ほっとしたり、時には嫌な気持ちになったりしながら、いつだって勝手に心を揺らしているのだ。


ただし、思い描いているのは曖昧な「かんじ」であって、「人のこと」とか「具体的事象」ではない。

多分あまりそういう「こと」には興味がないんやろね。
「人」には興味があるけど「人のこと」にはそこまで関心がない。ただ、「人」を理解しようと試みる一手段として、「人のこと」も聞いたりはする。

仕事でもそうやね。そこは丁寧に聴く。必要だから。でも多分それ(人のこと)を知ることがあたしにとって最大の目的というわけではないから、…そこまでしんどくなりすぎることなくこの仕事やってられるんかもなぁ。

久々会った同業の友人と話しててそんなことを感じた今日。

あたしに関して、例えば憑依したくなるほどその人のことに動じたり入りこんだりすることって今のとこないなぁ…と。(正確にはひとりだけそういう対象が思いあたる…悔しいけどこれは特別と認めざるを得ない。これは大変不本意なことなのだけど。)


基本、常に距離がある。
…あたしの殻厚いしなぁ。


うーん、案外ドライなんかもな。
よくもわるくも。

と、改めて実感する今宵。
明日も早いのにこんなことばっか考えて寝れない困った奴(>_<)

はぁあ…


「近付きすぎるとやさしく拒まれる」

自分をそう表現されたことも、誰かについてそう感じたときの感情なんかも思い出してきてしまったり。。

「イメージと距離」 (mixiに投稿していた日記より)
2007年3月28日



自己紹介のついで、mixi時代おおいに流行った「100の質問」を思い出し
そんなん久々にしてみよかなーって過去日記を探っていたところ…

あの頃の自分とうっかり出くわしてしまった。
16年前の自分。まだ20代か…

16年後もやっぱり
本質的には何ら変わらぬ四十路を生きていること。
この頃想像しただろうか?いや、考えもしなかったな。
いま、を生きることに精いっぱいだったもん。

でもなんていうんだろうね。
言葉を選ばずに表現するならあの頃のわたしは
”常に表に粘膜晒してるみたいなヒリヒリ感”を抱えながら
湧き出ては滲み出す感情に忠実に生きてたよね

だけどいつからなんだろうな。


あえて浅瀬を選んで佇むようになったのは。



それがおとなになるっていうことなのかな。

・・・まだまだおとなになったなんて全然思えてないけど。

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