サボテンの教え

サボテンを枯らしたとき、これまで抱いていた疑いに答えが出た、と思った。

私は圧倒的に育成する能力に欠けている。

疑いの源は遥か小学生時代に遡る。
新一年生が大抵課せられた朝顔の飼育と観察では、当然水やり当番が決められた。
そして私は「決まったことを決められた時刻に決められた通りにやる」ということが心底面倒で大嫌いだった。なおこの悪い性質は習い事等でも発揮され、さんざんサボっては母や先生方を困らせたという余談。
持ち帰った朝顔の鉢に水をやるのは母の仕事になったとき、「うーん……?」と思ったけれどその理由がわからなかった。

さらに数年後。夜店で掬った金魚を飼うことになった。
最初こそ登校前に餌をやっていたが、いつの間にかそれも母の仕事になっていた。その金魚たちはその後十年ほど生きた。長生きだったと思う。
「これはお母さんの金魚」と言う母に、そうだよな、と思いながら「ううーん?」と引っ掛かりを覚えた。

そのとき思い出していたのは同級生が飼っていたハムスターのことだ。
当時ハムスターが爆発的に流行っていて、多数のエッセイ漫画が発行されていた。そのせいかハムスターを家族に迎え入れるところが多く、両手で足りるほどだった遊び友達の三割がそうだったと思う。
おが屑だの新聞紙だの、ヒーターだの、家具だのおもちゃだの、太らないための餌だの。友人たちが見せてくれる愛らしいハムスターが住む水槽の近くには、そういうものが山積みにストックされていた。そして友人の後ろでその母親が「最近おばさんが世話してるのよ」と言い、「そんなことない」と答えた友人はすぐさまごみを取り除き、水を変えていた。

結局何が気にかかるのかわからないまま、十代半ばを過ぎ、ある日なんとなく妹と「多肉植物を置いてみよう」という話になった。
そして枯らした。水をやっていたのに枯れた。

そうしてこれまでのことを色々思い返し、冒頭の結論に至った。

私は、動植物を育成するのがめっっっっっっっっっちゃくちゃ下手なのだ、と。

それは苦手意識とともに、ある種の罪悪感になった。
母は「植物なんて適当に世話をしていればいい」と豪語する人なので、庭を彩る植物はたぶんその世話に耐えうる強い子たちだったのだろうけれど、少なくとも私ほど壊滅的な面倒臭がりではなかったし、まめに世話をしていた。
そして世の中には大勢の人が庭いじりを趣味にしたり、それでなくとも小さな鉢植えを可愛がったりしていて。
それができない私は、なんとまあ「普通」から外れた人間なのだろうと思った。だから動物を家族に迎え入れるなんてとてもできなかった。

——とまあ、ここまで深刻に過去の話をしてきたわけだけれど。

要は「こんなこともできないの?」という呪いを自分にかけていたわけだ。

家に花を飾ることは家庭的。
植物や動物の世話をするのが一般的。
「普通は」とか「誰でもできて当たり前」などと考えていたのだ、私は。

そして罪悪感のせいで、デビュー作に植物を成長させられる特殊能力を持つ少女の話を書いてしまった。


その呪いはある日呆気なく解けた。

仕事を辞めてしばらく経ったある日「何か育ててみるか……」と思ったのだ。
どうしてそうなったのか。多分時間があったこともあるし、部屋が殺風景だったし、色々あって心機一転を図りたかったのだ。植物の世話というのは、なんとなく精神的に良い気がした。私はそういう直感で動くところがだいぶある。
しかし外で作業するとなると結局面倒になりそうだったので、室内で育てようと、観葉植物と多肉植物を買った。
そしてこの子たちが、まあたくましく生きたのだ。ここからちょっと遡ったら「私は、動植物を育成するのがめっっっっっっっっっちゃくちゃ下手なのだ、と。」などと書いている人間の世話で。

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真ん中のプミラは半年、右端のテーブルヤシは一年ほど保った。どちらもわっさわさに育ったものの夏の室内の冷房に耐えられなかった模様。

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一枚め左端のカランコエは挿し木してめちゃくちゃ増えたので新顔を加えた。寄せ植えは園芸部活動を始めて、やりたかったことの一つだった。

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伸びすぎたものを切って活けてみた。


この頃は花を飾ることにも抵抗がなくなった。
母の日に花を贈るために初めて立ち寄った花屋さんで、おしゃべりで楽しそうに仕事をする店員さんに出会えたことがめちゃくちゃ大きかった。私の「陽」の部分とすごく気が合うので、どうでもいいことをわははと喋りながら花を選ぶのが楽しい。
ただ毎日残業の身では閉店時間に間に合わないことが多く、だいぶご無沙汰してしまっている。そろそろ寒くなってきたし、なんだか面白い花を置いてくれていそうなので覗きに行きたいな……と思いながら十一月に入ってしまった。


私が抱いた「動植物を育成するのがめっっっっっっっっっちゃくちゃ下手」は、恐らく事実だと思う。手間がかかるものは多分それが思いきり好きでなければ育てられない。そして私はいま、凄まじく手がかかるけれどとてつもなく楽しい創作という活動を愛しているので、その愛情を別のものに注ぐことは、かなり難しい。

事実は事実。呪いではない。呪う必要はない。
私は動植物の世話が苦手。
ただそれだけの話で、子どもの頃つまらなかったり苦手だったりしたことは大人になってやってみた方が面白いと、一人園芸部活動をしていて思うのだった。


今日の進捗。
・note更新。

今日嬉しかったこと。
・妹が作ったレモンカードが美味しい。
・シャインマスカット美味しいねえ。

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