爪先のひみつ

「マニキュアは赤がいい」と言ったのは母でした。

いまほど暑くなかった時代の夏休み、周囲の友人たちは鮮やかに染めた爪先を見せつけるようにサンダルを履いていて「あんたもすれば?」と母が言いました。

「塗るなら赤がいいよ」
「嫌だ。青がいい」

その頃の私は「女の子っぽいもの」を毛嫌いしていました。赤、ピンク。スカート。飾りのついた髪ゴム。きらきらした文房具。連れ立ってトイレに行くこと。好きな男の子の話をすること。
けれど「かわいい女の子」に憧れる気持ちもありました。特に友人には可愛くて人気のある子が多くて、みんな言動がいつもどこか「丁寧」で「清らか」でした。雑で、可愛くない自分を見たくなくて鏡を避けまくっていた私とは全然違って、何をするにも洗練されていて。
あるときなど、母は「あんたの友達は美少女が多いね」と評しました。そのときは私もそこそこの歳で、その言葉に「違うタイプだから友達になれるのだな……」とか「自分を引き立てるために我が娘を友達に加えているのかもしれないな……」という含みがあったのを察しましたけれど。
彼女たちのようにはなれない、という自覚がありました。当時の私にとって「かわいいと思われること」は「媚びること」とイコールでした。女の子ならピンク、女の子ならスカート、女の子なら好きな男の子がいるはず。当たり前と言われるものが大嫌いだったのは、それらが誰に向けてのものなのか、わからなかったから。

いまなら、彼女たちがそうありたいと望んだからそうしていたのだと思うし、私はそうじゃなかったというだけの話なのですが、十歳にも満たない子どもの世界は狭すぎて、想像すらできませんでした。

折り合いがつくまでには紆余曲折あったけれど、赤いマニキュアを勧めた母の言葉は、いまも覚えています。

「マニキュアは赤がいい。いつも靴下を履くでしょう。そんな子が、素足に真っ赤な爪をしているのがいいんだよ。だから、塗るなら赤がいいよ」

今現在の私は、休日は好きなスカートを履き、好きなメイクをし、かわいい靴を履いて、イヤリングや時々指輪で身を飾り、赤やピンクの小物を好んで持つ大人です。
そして足の爪にはマニキュアを、赤や、時々新色だという色を塗っています。

媚びるためではなく、自分のため。
自分が素敵だと思うもので心を満たそうとしているだけ。
かつての友人たちのような美しさ、丁寧さや清らかさは持たないけれど、媚びるんじゃなくて好きでやっているんだと示すために、色づいた爪先はずっと隠しています。

そういう私でいられるのは、鏡を避けてざんばら髪で走り回っていようとも、スカートもピンクも勧めず「女の子なんだから」などといまのいままで一言も口にすることのなかった女性が母親だったおかげです。

しかしいま思うと小学生の娘にペディキュアをしろと言った母はなかなかパンチが効いている。


今日の進捗。
・書き物作業(1.5h)
・クラウド設定色々。

今日嬉しかったこと。
・別部署のえらい人が私の名前を覚えてくれていた。やったね。
・(ほぼ)毎日ちゃんと書いている。えらい。

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