見出し画像

映画の思い出

園から帰宅するなり「びでお!」と叫ぶ。それが園児であった私の日課でした。
妹の言葉が流暢になるとそのうちに「びでお!」「びでお!」の合唱になりました。
お気に入りは「ととろ」「らぴゅた」「なうしか」で、たまに「えんだああ」。
そう、「ボディ・ガード」です。

話の内容など一切わかっていないのに、主題歌の印象だけで「えんだーいあー」をテレビに流せとせがむ姉妹でした。もちろん「ととろ」「らぴゅた」「なうしか」もストーリーなんて何を描いているか知らない。シーンを理解しているかも怪しい。
同じ時間帯にテレビが占領されるというのに根気強くビデオを流し続けてくれた両親には感謝しかありません。まあぶっちゃけテレビの前にいれば危ないことはなかったからなんでしょう。


そうやって毎日繰り返し物語のあるものを見続けたせいなのか、年長になった私は妙にストーリーのある作品が好きな子どもだったように思います。
園では園児が少ない時間帯に時々テレビをつけてもらえるときがあり、そこでめちゃくちゃ大好きで見ていたのは「魔女っ子メグちゃん」でした。内容が内容なので先生方にさりげなくチャンネルを変えられたときはがっかりしました。
ノンが好きだったんですよね。メグとノン、すごく相性がいいのに、どうして仲良くしないんだろう。親友になれそうなのに、などと思っていました。いま思うと友情とかバディとか百合を期待していたんでしょうね……性癖とは恐ろしい……。

それでも、ストーリーを理解しているかは別で。
けれど、これ面白いな、好きだな、という気持ちを、少しずつ少しずつ育てていきました。というかそんな風に母が育てたようです。私はそのときになるまで、自分の情緒が子どものままだったことを知らずにいて、気付いたのは小学校に入ってから。

我が家は就寝時刻が早かったのですが、両親はその後起き出してテレビや映画などを見ていたようです。ときには私たちが寝静まった寝室で、小さなテレビをつけただけの真っ暗な中で、母が週末の映画番組を見ていたこともありました。
テレビの白い光に、本を読みながら映画を見ている母の姿はいまでも印象的です。

ある深夜、といってもきっと日付は変わっていない時刻。ふと目覚めた私は、母がテレビを見ている横に並んで、ぼうっと流れる映像を見ていました。

不思議な作品でした。
男の人は、あの女の人がすごく好きらしい。でもその男の人の両手は普通じゃない。巨大なハサミなのだ。どうやらそのせいで結ばれないらしい。しかも周りの人たちも男の人のことを許してくれない……。

「どうしたん!?」
夜更けゆえに押し殺した声でしたが、驚いた様子の母に、私はわんわん泣きながら言いました。
「エドワードかわいそう。エドワードかわいそうぅうう」

流れていたのは「シザーハンズ」。
私の情緒を目覚めさせた作品だと思っています。

ちなみにこの出来事は母にも印象深かったらしく、いまでもテレビで「シザーハンズ」が流れるとその話になります。
なお私自身としては情緒が目覚めすぎて不安症みたくなり、母が夜に出掛けてやっと帰ってきたら「もう会えないかと思ったあああ」と号泣したり、いつもの時刻に帰宅しない母が心配でわんわん泣いたりという苦いようなむず痒いような記憶があるので、ちょっとこの作品が苦手です。

でもこの作品の何がそんなに琴線をびんびんに震わせたのかと考えてみると、異形と人の隔たりみたいなものを強く感じたのかとか、本当に優しいのはエドワードなのにとか、優しくしても報われないとか、そういう、いまも考えたり書いてしまったりする事柄の根本になるものがあったからなんでしょう。

しかしその後情緒と感情を主とした人間に成長して、だいぶとめんどくさい思春期を迎え、かなりこじらせた大人になるのですがそれはまた別のお話。


今日の進捗。
・作業スケジュール作成。
・note更新。

今日嬉しかったこと。
・目処が立ってほっとした。
・がむしゃらに働いていたら「休みなよ。保たないよ」と母が言う。毎日頑張ってるって思ってくれてるのかな……と思うとちょっと泣きそうになる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?