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渋沢栄一「論語と算盤」 立志と学問シェア会の気づきその①

こんにちは。
本日、渋沢栄一「論語と算盤」のシェア会をしたので、その気づきを、開催背景と共に書いていこうと思います。

「論語と算盤」経営塾

私は今年の5月から渋澤健さん主催の「論語と算盤」経営塾に参加しています。

「論語と算盤」経営塾とは、渋沢栄一の5代目子孫である渋澤健さんが主宰する経営塾です。日本資本主義の父と言われ、私も尊敬する渋沢栄一の「論語と算盤」をテキストにし、ディスカッションをしながら読み解いていくもので、今回は過去最多の50名を超える方たちが参加しています。その50名の方も老若男女、様々なバックグラウンドの方が参加されていて、普段できない交流が、この経営塾の醍醐味の1つであると個人的には思っています。

「論語と算盤」は10の章から成り立っているのもあり、参加者を10のチームに分けて各章を深めていきます。今回のシェア会も、そのチームのメンバーと開催しました。

立志と学問

さてさっそく今回取り上げる章が「立志と学問」
本題に入る前に、この「論語と算盤」について触れたいと思います。

「論語と算盤」は渋沢栄一が書籍として書いたわけではなく、講演の口述をまとめたものです。各章ごとにまとまっているのですが、それを行ったのも渋沢栄一ではなく、編集者の梶山彬氏と言われています。

よって、若干の読みにくさを私は当初感じていました。それはやむを得ないかなと思います。1冊の本として作られたものと、講演の口述をテーマごとにまとめたものでは1冊全体としての全体観も変わってくるので。ただ、最初から講演録をまとめたものと把握していれば、少しは挫折しにくくなるかなと思います。

さて、ようやく本題です。
「立志と学問」を読んで特に印象的だったものを書いていきます。

維新の意味とリセットできることの価値

「対象維新の覚悟」という見出しの中で、「維新」の言葉の意味について触れている。

維新ということは、湯の盤の銘にいう「まことに日に新たなり、日に日に新たにして、また日に新たなり」という意味であるから、溌溂たる気力を発揮するときは、自然に生まれたる新気力を生じ、進鋭の活動ができるのである。

渋沢栄一「論語と算盤」角川ソフィア文庫 立志と学問 P65-66

以前からこの維新の意味というのは把握していたが、今日あらためて読み進めてシェアをしたときに新たな気づきがあった。「日に新た」というのは誰でも重要だと思うが中々それができない。「日に新た」というのは実はその裏に、今までという過去などをリセットするからこそ「新た」にできるのではということ。ここでいうリセットとは全部を無にするとかそういう意味ではなくて、過去にとらわれない自由な境地みたいなイメージです。

その視点で明治維新を見てたときに、象徴的なのは刀やちょんまげを切って、リセットして、西洋の学問や近代的な制度を受け入れることができた。新たにするには、リセットすることが実は隠れている。そして人は執着という言葉があるように中々過去の知識や出来事をリセットできない。維新という言葉は今にも繋がる問題意識を私たちに投げかけているのではと思いました。

さて、シェア会の気づきを1つの記事で一気に書こうと思ったのですが、結構大変な気がして今日はここまでにしておきます。記事を書く習慣づけというのも今実施しているのもあり、次回以降また続きを書いていこうと思います。

最後まで読んでいただきありがとうございました!

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