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まあまあな人生だった。 ナゼか?⑤

久しぶりのこのシリーズ。

大学3年生の時に「人を楽しませる仕事がしたい」と思った。それでテレビ局を目指した。面接で「何が作りたい?」と聞かれ「アメリカ横断ウルトラクイズ」と答えた。今考えるとまさにドキュメントバラエティの元祖のような番組だ。初志貫徹したのか?
いや道はそう平坦ではなかった。

日本テレビに入社して編成部→制作局ワイドショー→料理スペシャル番組を手伝ったところで日曜8時の人気番組「TV スクランブル」がたまたま終わって当時の上司がたまたまビートたけしさんと松方弘樹さんを捕まえていて「元気が出るテレビ」が始まることになった。僕は希望も何もただ「配属された」だけだ。そうしたら僕の作るビデオが全く誰も笑ってくれない。落ち込んだ。そして半年後、やっと僕の作ったビデオがスタジオの200人のお客さんを笑わせた。その瞬間のことを今でも忘れていない。そうして僕はお笑いディレクターになることを決めた。
見様見真似だ。テリー伊藤さんが言うことと作ったビデオでスタジオの客さんが笑うかどうかと言う体感で「人が笑う」ビデオを作れるようにならなくてはならない。すると”その日の天気”とか”フロアの温度”とかもお客さんが笑う笑わないとかに関係することがわかった。でも結局はビデオの出来だ。ウケたりスベったりする数で体で覚えていくしかないと思った。

多分これはお笑い芸人ととても似ている。それを漫才・コントという喋りと動きで笑わすか?それともビデオの中の音、映像、ナレーション、スーパーなどの編集で笑わすか?そしてウケるのかスベるのか?

お笑い芸人も目指した後は自分で人前に立って「ウケるスベる」を体感し、先輩芸人の舞台を袖で見て「ウケるスベる」を感じて、何が違うのか?を体で感じて、できたやつは面白くなるしできないやつはどうやっても一生面白くならない。
実はここは運動選手に似ていると思っている。自分の肉体がその「人を笑わす」ということに全身の筋肉が微細に反応するかどうかだ。顔の向き、振り返るスピード、肩の突っ込み具合、それらがピタリと表現できた時に「人は笑う」
だから正直生まれつきの才能の部分がとても大きい。できる奴は面白い先輩芸人をテレビで見ただけでできるようになる。できない人間は一生できない。それは100メートルを10秒で走れるのは生まれつきの才能のうえにすごい量の練習をした人間にだけ許されることのようなものだろう。

しかしお笑いディレクターは自分の肉体で表現しなくて良いから才能がなくても努力だけでなんとかなる。でも先生がいない。テリー伊藤さんも「どうすればこのビデオで人は笑うか?」は編集できても、その構造を教えてはくれない。だから大工の修行のように怒られながらカンナを何度もかけたりノミで削って体で覚えるしかないのだった。

そして僕の幸運はこの「元気が出るテレビ」を卒業した後、欽ちゃんに出会ったことだった。
驚くべきことに欽ちゃんは「人はどうすれば笑うか?」を黒板に書いて説明してくれた。このことが僕の宝であり唯一の財産になった。
後で聞くのだが欽ちゃんは最初に浅草に弟子入りした時に「お前は才能がないからやめろ」とすぐに言われたらしい。だからきっと「人はどうすれば笑うのか?」を持って生まれた才能ではなく努力だけで体得したから人に教えられるのではないかと思う。

欽ちゃんと出会って何年後かに「電波少年」を始めた時にこの宝・財産だけで戦って、見ている人は笑って、そして人気番組になった。
僕に才能があったは思わない。最初の師匠テリー伊藤に笑わすことの難しさを教わり、欽ちゃんにその理論的裏付けを体得させてもらった。

欽ちゃんが「欽ドン!」などのたくさんの番組でオーディションで選んだほぼ素人で笑わすことができたのは何故か?それはこの理論を教えるではなく”そう動くように”誘導できるからである。そしてこのことを本人が持っている才能に掛け合わされて体得した時に力のあるタレントが生まれた。
その代表が香取慎吾である。(僕と一緒に番組をやっていた勝俣州和もそう)

その「笑いの奥義」を身につける最後のチャンスが「欽ちゃんオーディション」であることは間違いない。これは神に誓ってそうだと言える。

https://kinchan-audition.peatix.com

この切符を手に入れるのは誰なのだろうか?
そしてその過程を目撃するのは誰なのだろうか?

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