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パンクになって、晩節を汚して、どう死ぬかを考えよう!

この2ヶ月の間に65歳になった。僕はFBで誕生日を入れていない。だから「おめでとう!」投稿はもらわないようになっているのだがたまに昔からの知り合いで知っている人がいてメッセージをもらってしまったりする。そこに恐れていた一文があった。
「いつまでもお元気で」
こういう言葉が来てしまう歳になり、こういう言葉が結構キテしまう歳になったのだ。

65歳というと高齢者に区分される。「おじさん」から「おじいさん」になった。年金も一般的には貰い始める歳だ。つまり国の制度としては「まあこれまで頑張ったからこれからはお金渡すからのんびり生きていきなよ」って年齢だということなのだろう。
年金もらう前に死んだらこっちの勝ち。もらっちゃったら負け
と勝手に思っているから先延ばしにする。

会社でも2回目の定年が来たのだが現場が「もうしばらくいたらどうですか?」なんて嬉しいこと言ってくれたので在籍43年目に入った。

そんな年齢になったことを改めて感じさせてくれる節目があったので色々と考えた。

高齢者=老人とは何かというと『明日死んでも不思議でない人たち』グループに入会したのだと思っている。「まだ若いでしょ」と言われるだろうし、もし明日死んだら「まだ若かったのに」と葬式で言ってもらえるだろうがでも、30で死んだときより「まだ若かったのに」の言葉の熱の入り方は半分くらい否それ以下だ。そしてこれから1日1日とその死んだ時の「まだ若かったのに」の言葉の熱は低くなっていくのだ。
だから高齢者になる。老人になると自覚することは「死を身近に感じる」生活を日々送るというポジションに自分を置くということである。
「そのことをめちゃめちゃ楽しむ!」と考えた。

言うまでもなく人は生まれたその日から「明日死んでもおかしくない」のだがこのことを堂々と自ら意識してそのことを考えていい権利を得たのが高齢者になった、老人になったと捉えた。
つまり「明日死ぬかもしれないのだから」が行動原理になる。
「じゃあパンクになるよね」

世の中の高齢者がみんなパンクになったら面白い!
だって明日死んじゃうかもしれないんだからもう一度自分の人生考えて「一番やりたかったこと」をみんな始めたらとても楽しいんじゃないか?
持ってるエネルギーは若いときより少ないかもしれないけれど今日一杯で使ってしまえと思えばかなりのエネルギーが使えるはずだ。使い切ったと思っても不思議なもので明日もエネルギーは湧いてくるきっと。経済が回るぞ!
先日同年代の友人と話していて彼は最近長年別居していた奥さんと正式に離婚した。仕事場でボソッと「結婚しようかな」と言ったら「やめてくださいよ」と言われたらしいが僕はこう言った。「晩節を汚そう!」
それなりの功を成し遂げた人が言われがちな「晩節を汚すな」であるがそんなものは全く面白くない。そんなものは周りの勝手な都合だ。死ぬまで面白おかしく生きていたいなら「晩節なんてぶっ飛ばせ!」でいい。
と言うことでこの業界でかなり功なり名を遂げた友人だが二人で「晩節を汚そう会」を結成した。

ある大学の授業で「企画力をつけるにはどうしたらいいですか?」と質問されたから『まず欲望を持て』と答えた。モテたい!金持ちになりたい!有名になりたい!と言う欲望があって『でもなっていない』があって『じゃあどうやれば達成できるか?』を考えることが企画の出発点だ。だから欲望なきところに企画はない。もちろんその先に「面白い番組を作りたい!」が欲望になるのが”作り手になる”ってことだが学生に「面白い番組を作りたい」は心の底からの欲望にはならないからこう言ったのだが。
だから高齢者”老人の欲望は「どう死ぬか?」になる。今の日本人は「どう死ぬか?」をタブー視するが、これほど考えるのに面白いテーマはないのだから身近になった今「どう死ぬか?」企画を真正面から実に楽しい気持ちで高いテンションを持って考え続けるのがいいと思っている。

どう死ぬか会 それはそれなりに人生経験を積んで酸いも甘いも噛み分けた人間たちの どう生きるか会 である。

相変わらずしょうもないことを考えていて、このまま多分死ぬまでしょうもないことを考えることにした。

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