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クリエイティブマネージメントの失敗

オリンピックの閉会式の演出が”ショボイ”と言われている。閉会式の中に入れ込まれたパリ2024のフラッグハンドオーバーの部分の演出が”カッコいい”と対比されてボコボコだ。僕も見ていて正直悲しくなった。日本のクリエイティブはこんなものじゃないのに!と思った。でも一番辛いと思っているのは今この演出をしているスタッフたちではないかと思ったのだ。

一つ一つのパーツを論うつもりはない。スカパラもストリートアーティストたちも東京音頭も大竹しのぶさんも宝塚もソプラノの歌手の方も一つ一つは素晴らしい。でもやはりイベント演出で大事な『驚き』が欠けていた。大向こうを唸らせる『なんじゃコレ!?』が圧倒的に欠けていたと思う。
それは何故か?と考えるとまず“お金”だろう。延期とコロナ対策で閉会式の予算が圧縮されたのは明らかだ。このお金の壁にイベントスタッフがぶち当たっているのは明らかだった。しかし予算が少ないからこそ絞れる知恵こそ日本クリエイティブの真骨頂ではないか?開会式のピクトグラム表現がそのいい例だ。何のデジタル技術も使わずアナログと生演技のこだわったことで世界に笑いと驚きを巻き起こした。
しかし閉会式にはそれも残念ながら見当たらなかった。

日本のアスリートたちが様々な競技で世界にその力を示した。選手たちが皆インタビューで口にしたように”コロナ禍での自国開催”の重みを感じてそのプレッシャーを力に変えたということがあったと思う。それと同じように開・閉会式では日本のクリエーターたちのアイデアと演出力を世界に見せつけたかった!というのが体育会系ではない文化系サークル側の想いがあった。
そしてその力は間違いなくあると信じている。
誰がやればよかった、という話ではない。日本の何人かのトップクリエーターが時間と権限を任せられれば間違いなく世界を驚かせ唸らせることはできた。何を間違えたのか?それがクリエイティブマネージメントだと思うのだ。

今回のオリンピックでも証明されたのは世界のトップオブトップの戦いにおいて如何に”アスリートマネージメント”が大切かということだった。精神力を如何にいい状態に持っていけるかがそのアスリートの力を発揮できるかの分かれ目だとみんな気がついている。もちろん”セルフマネージメント”が大きいがそれこそアスリートが皆インタビューで口にした「周りのたくさんの人の支え」とはマネージメントのことである。
そのマネージメントを東京オリンピックではアスリートには何例も成功したがクリエーターには失敗したと言わざるを得ないのではないか?

僕はテレビ局という企業のクリエーターを長いことやってきているのでこの”クリエイティブマネージメント”が如何にそれぞれの局において大切なことかわかっている。それが上手いこと言っている局は「面白い番組」を次から次へと生み出し、それがうまくいっていない局は「二番煎じ」の驚きのない番組を量産し続ける。結果それぞれの局の「視聴率」という数字に現れ「売上・利益」の差に反映される。それは”アスリートマネージメント”の結果が「メダル数」という数字に置き換わることと全く同じである。

今回は”キャンセルカルチャー”と言われるものが表に出てそれに対応しきれない組織にクリエイティブが振り回されたということもあっただろう。でもどの人が力を発揮しても(それぞれは全く違った演出になっただろうが)それは今の日本のクリエイティブの力を示したことにあっただろうからそれが残念でならないのだ。

多くの優れたアスリートがいるように多くの優れたクリエーターが日本にはいる。しかしそれをうまくチョイスしチームにして環境を整えるのはマネージメントというクリエイティブとは別の能力だ。そのことに気がついている人があまりに少ない気がする。

オリンピックを見てたくさんの少年少女がいろんなスポーツに挑んでいくだろう。そんな未来が確実に見える。そしてそれは日本だけじゃなく世界の未来に確実に貢献するものだ。
だからこそ体育会系だけでなく文化系で世界を目指す少年少女を刺激し育てるいい機会だったはずだ。それはこれまでの多くのオリンピックの開閉会式で行われて来た。それは今のそれぞれの国のクリエイティブという文化の高さを示すだけでなく未来に直結する大切な部分だったはずなのだ。

クリエイティブの敗北ではない。クリエイティブマネージメントの失敗なのだ。

”クリエイティブマネージメント”の環境作りを意識として持って欲しいとオリンピックの閉会式を見て思った。まあ余計なお世話だと言われるだろうが。

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