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なぜ人が人を殺してはいけないのか

 はじめまして。蓮城徹です。
 いきなり物騒なテーマで恐縮ですが、先日姪っ子に無垢な瞳で聞かれたので、珍しく頭を活性化させて考えてみました。
 もしかしたら、同じような質問を受けた経験をお持ちの方がいらっしゃるかもしれませんね。

理由:人類が滅ぶから

 結論から言うと、人類が滅ぶからです。
「またバカなこと言ってるな」と思ったそこのあなた、ブラウザバックはもう少しだけ待ってください。
 予め説明しますと、ここで述べているのはある殺人鬼が70億人を殺し尽くすからということではありません。現実的ではありませんよね。
 滅亡への道筋をつけるのは、後述する①相互確証破壊の概念と②相互信頼の概念によるものです。

相互確証破壊は個人間でも成り立つ

 相互確証破壊というのは、いわゆる国家間の関係性において提唱されている概念です。

核戦略構想の一種。確証破壊能力を米ソが互いに保有することにより,核戦争を抑止しようとする概念

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典より引用

 意訳すると、相手を再起不能になるほどに攻撃した場合、こちらも必ず再起不能になるほどの攻撃されてしまうことが判っている状態であることが明確なので、結果として双方が相手に手を出さなくなるということです。
 この概念自体は国同士のマクロな視点のものですが、個人間でも同じようなことが言えると思います。

 日常生活を送るうえで、相手が必ず反撃してくると分かっていれば相手を襲うことはありませんよね。そんな物騒な日常な生活を送っているわけがないでしょというツッコミは脇に置いてください。とにかく、相手がとても強そうな格闘家などの鍛え上げられた体格の人物などであれば、まさか喧嘩しようとは露ほども思わないはずです。
 結果として、傷害事件等が起こるのは、怨恨などの特別な理由が無い限り反撃されないような体格的にも未熟・衰えが見られる子供や老人などが狙われてしまうわけです。

日常生活は信頼で成り立つ

 さて、もう一つの概念について説明します。
 私たちが普段生活する上では、様々な場面で暗黙の了解として信頼関係を成立させています。
 ミクロに見ると、ご近所付き合いや店舗での買い物、もっと大きく見ると「国民内での合意」や人類という種族での信頼などがあります。
 マンション等の集合住宅で、自分には全く関係のない世帯と隣り合わせで生活を出来ているのは、無意識のうちに「相手が自分を損ねるような行動は取らないだろう」という信頼関係が成り立っているからです。
 店舗での買い物で、自分が金銭を提示された金額通りに支払うのは、提示された通りの金額を支払えば、店舗(店員)は必ず品物を渡してくれるだろうという信頼関係が成り立っているからです。
 例えば、日本は諸外国と比較して治安のよい国と言われます。治安が良い理由は警察機構の機能が十分であったり、発展途上の国と比べて所得が安定しているから等、複合的な理由があると思いますが、あえて治安を悪くすることは無いだろう、という信頼関係が成り立っていることも一因です。
 根源的には、同じ種族である人間が人間をまさか損ねるような行いはしないだろうという信頼関係が無意識の上に築かれています。これは、動物的本能として種の保存がプログラムされているからです。

 ここまでお読みになった方の中には「戦争などの争いがある」と反論をされる方もいるかもしれません。
それは、かつて戦争を引き起こそうとした指導者も悩んだことでしょう。故に彼ら彼女らはこれを解決する名案を思い付いたのです。

すなわち、「相手は同じ種族の人間ではない」という理屈です。

 少し歴史に詳しい方には耳タコでしょうが、往時の指導者は様々な理由を付けました。
 曰く、相手は異なる宗教を信奉する異教徒だ。
 曰く、相手は人に非ざる存在だ。
 曰く、相手は自分たちより劣った存在だ。
 曰く、相手は未開の人物なので、開明的な自分たちに指導されるべきだ。
etc.etc….
 つまり、先述したような「同じ人間が人間を損ねることはしない」という信頼関係を、「相手は同じ人間じゃないので損ねても良い」というロジックで国民を納得させてきたわけです。

さて、ここまで読んできた方であれば、序論で説明した「人が人を殺してはいけない理由=人類が滅ぶから」の意図がお分かりいただけたかと思います。

人が人を殺してしまう→人類が滅ぶ過程

「人が人を殺してしまう」

「無意識の信頼関係が決裂する」&「相互確証破壊の論理が働く」

「種の保存に反する状態が生じることで、相互不信に陥る」

「襲われる前に倒すべき、という思考が働く」

「人類同士(個人間、あるいはもっと大きな規模)での争いが起きる」

「人類が滅ぶ」

故に、社会は常に信頼関係を維持し続けねばなりませんし、警察機構や統治機構は「他人を殺してしまうような存在」が現れたときに迅速に逮捕拘束・処罰を行うことで、種族内での信頼関係は損なわれていないことをメッセージとして発信しなければならないのです。

おわりに

 最後に申し述べておきますが、この考え方は私自身の考え方であり、これが正解であると述べるつもりはありません。それぞれが色々な考え方をお持ちだと思います。
 ただ、少なくとも私は同じ質問をされたときに「人類が滅ぶから人が人を殺してはいけないんだ」という回答をすることでしょう。


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