コンテクストから切り離され、未来へ向かう演奏の妙 (Pino Palladino and Blake Mills ライブ感想)
バンドメンバーから誘われ、Pino Palladino and Blake Mills featuring Sam Gendel & Abe Rounds の公演を聴きに行った。普段はJ-POPばっかり聴いている自分にとっては難しい内容に違いなかったが、感じるところがあったので記録として残す。
このグループについては前情報を全然仕入れていなくて、「Pino Palladinoが超一流ベーシストで様々なセッションに参加している」ことと、「Sam GendelがKNOWERのバンドに参加しているサックスプレイヤーである」ことを知っていた程度だった。
いざライブが始まり、MC無しで淡々と演奏されていく曲たちを聴いて持って感想は以下2つ。
Mingus Big Band(ただしメンバー全員が真面目に演奏している場合())っぽい
知らない映画のサウンドトラックを聴いているようでもある
前者に関しては、同じモチーフを使いまわしたまま盛り上がっていったり、拍を無視しているように聞こえるユニゾンパートが突如入ったり、フリーっぽい部分もあったからそう聞こえたっぽい。
後者は、なんとなくバンド全体で音像を意識してそうだなーという印象を受けたのと、曲ごとの音像にはあまり共通性がなく、ミニマルなものから侘び寂びを含むようなものまで幅広かったせいっぽい。
バンド自体の感想は以上で終わりなんだけど、それを支える各プレイヤーの演奏が自分にとっては示唆的だったのでそれも書いておきたい。
特にエレキギターとサックスが、エフェクターを駆使したりして様々な(本当に様々な)音で演奏していたのだがそれについて感じたことが以下。
旧来、各(音色を含む)演奏のマテリアルはそれぞれのコンテクストを持つ(たとえばオーバードライブの音色はロックを想起させるなど)。それを利用してコンテクストを明示するために音色を選んだりするのが通例だが、彼らは全ての音色を内在化させて(コンテクストを断ち切って)、目の前の新しい表現のためだけに音色を使っているように見えた
(伝わるかな…あんまりうまく書けてない気がする)
平たくいえば「唯一無二の自分の音色を持ってる」とか「(自分の音色の)引き出しが多い」とかいう感じかもです。うーん。
これは一流のプレイヤーなら至極当たり前にできていることなのかもしれないけれど、あまり言語化できていなかった部分なので、個人的にすごくいい気づきだった。
いわば守破離とか型をやぶるということを高次元にやっている人で構成されたバンドが、その能力で新しい表現にトライするさまを眺めるライブだったように思う。
先人が積み上げたジャンル、に囚われない新しいサウンドを求める中で、現代のプレイヤーがたどり着いた極地なんでしょうか。
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