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名前の由来、子どもたちのこと-その1

前回は「 #名前の由来 」というお題にのって、自分の名前について書いたので、今回は子どもたちの名前の由来について書いておきたいと思います。

我が家には3人子どもがいます。
末の娘はまだ学生ではありますが、全員成人しています。

もう、子ども、と呼ぶような歳ではなく、でも、親としては子どもは子どもなので、いろいろと心配やら、おせっかいやらして、子どもたちやカミさんから顰蹙をかったりする、そんなお年頃になってしまいました。

それぞれ、大人・社会人として生きていますので、検索かけるとそれなりに素性もわかるので、特に問題はないと思い、したためる次第です。

子どもたちの名前についての前説

私自身も3人兄弟。上に兄二人がいます。
歳は、長兄と次兄が5歳違い、次兄と私が7歳違い、すなわち長兄と私は12歳違い。干支でいうと一回り離れていました。
兄が高校へ登校する時に、私は手を引いてもらって幼稚園へ登園、というような歳の差なのです。

それに加え、長兄は頭の良い人だったので、いろんな意味で我が家の核となっており、やはり影響は大きかったです。

その兄は私が小学校の時に結婚。兄の長男、つまり私の一番上の甥っ子がうまれたのが私が11歳の時。兄と私より、私と甥っ子の方が歳が近いのです。
その後、次男、三男とうまれ、長兄のところも子どもは男3人。

その長兄が子どもの名前を考えている時のことも覚えています。最初の子の時は、「前途遼遠」の「遼」一文字で考えていましたが、当時の人名漢字にはなく、やむなく同じ読みになるように漢字二文字の名前にしました。あとの二人は漢字一文字です。

次兄のところは男の子が二人。次兄も、おそらく長兄の影響もあったのかと思いますが、二人の子とも漢字一文字の名前。

そんな前史があります。

子どもたちの名前-ひらく、おもう、むすぶ

我が家の子ども3人とも私が名前を考えました。それぞれ、由来を記しておきたいと思います。

前説で書いたような背景があるものの、決して漢字一文字にしようと思ったわけではありませんが、結果的に3人とも漢字一文字になりました。

私のポリシーとしては、

自分でつける
命名本などはクソくらえ
画数などの姓名判断はクソくらえ

と、いったところ。絶対に、画数がどうのこうのや、流行りなどには左右されたくありませんでした。

ひらく

最初に考えたのは「ひらく」という音
私が大変影響を受けた、数学者の遠山啓さんの名前のが頭に残っていたのです。
朝日新聞で灘高校の校長先生との往復書簡のやり取りが連載されていて、その中での遠山啓さんの考えに大変共鳴を受けたのです。

いま、検索してみたら、1979年1月17日から16回に渡って連載されていたようです。灘高校の校長先生は勝山さんという方でした。

私はここで、「人間を測る物差しは一つではない」、一つのものさしで人間を測ることなどできない、ということ、テストの点数のみを尺度として人間の価値をきめるという現代の教育構造はおかしい、ということに気づき、肝に命じたのでした。

そんなことから「ひらく」、「啓蒙」の「啓」、がまず思い浮かびました。
しかし、字の感覚、あくまでも私が捉え感じた「啓」という字形がどうもしっくり来なかったのです。

そこで、考えた末に「拓」という字を選びました。読みは「ひらく」ではなく「たく」にしました。「たく」の方が素直だし、ストンと自分の中には落ちたのだと、思います。

「開拓」の「拓」、なので、「土地を開墾」する西武の開拓者とか、「道を切り拓く」というイメージをもたれるかと思います。
しかし、私の込めた思いとしては、「蒙を啓く」「ひらく」要するに「啓蒙」の「啓」、に近い意味合いです。

私自身ことあるごとに書いているように完全に文系の人間。ガシガシと荒れ地を拓いたり、道を付けていく、というタイプではありません。子どもにもそんなことは求めません。

そうではなく、この世の未来を、人々の未来を拓く、そんな意味合いを込めて「拓」という名前をつけたのでした。

その、長男、今は歌を詠む人に(もちろんそれだけではありませんが)なっていて、先日、第一歌集を出版しましたので、短歌に興味のある方はぜひご一読頂ければと思います。

ここまで書いたら疲れたので、あと二人、次男と娘の名前の由来は、また次回にしたいと思います。


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