所沢ピーファウルズ

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最近の記事

【選手記事】#8 越後汰一 「求めていただいた感謝を記録として残せたら嬉しいです。」

衝撃のトレードと言えよう。'33年オフ、レギュラー外野手がやや飽和状態にあり、若手野手の成長に悩む所沢と、即戦力の長距離砲を求めた坂戸との間で、池田奏介と越後汰一の1対1の交換トレードが発表された。池田は、'31年に30本、'32年に25本の本塁打を放った実績のある長距離砲だ。'33年は不調やケガ、他選手の活躍により出番少なく、77打席1本塁打と能力を発揮できなかったが、持ち合わせたパワーは本物だ。 対して所沢にやってきた越後。高卒3年目という年齢からも分かるとおり、現在は

    • 【選手記事】#7 出崎悠香 「自分に期待しています。」

      順風満帆と思われていた。ルーキーイヤーから、プロの投手相手に臆することなくヒットを放つ姿は、「天才」と称された。2年目には首位打者を獲得。中軸として、チームの起爆剤として、安定していくのだろう。「若手選手への期待」という枠は、出崎にはとっくに超えていた。だからこそ、若手選手らしい悩みを抱えた昨年の出崎には、本人はもちろん、周りも戸惑ってしまった。 3年目のシーズンとなった昨年。4月までこそ.244と本調子ではないながらも安打は放っていたが、5月は21打席でわずか1安打。二軍

      • 【選手記事】#6 稲熊海里 「与えられた役割を120%こなせばいい」

        ピーファウルズの背番号「6」。稲熊が入団する2年前、稀代の「名代走」としてプロ通算739盗塁を記録した寺西雄大の引退時の背番号だ。ベンチも、ファンも、「6」の背中に絶大なる信頼を置いていた。接戦時の試合終盤には、必ずその名前を意識した。「寺西にあと少し打力があれば」とは、かつての監督たちは口を揃えて言ったが、これもまた一人の選手の存在価値である。そして、その「もしも」こそが、稲熊海里なのかもしれない。そういう期待の下、新たな時代の「6」が生まれた。 稲熊も、脚力はある方だっ

        • 【選手記事】#3 末木奏大 「出来ないとは言えない。やるしかないです。」

          '25年。リーグ優勝・日本一を勝ち取ったピーファウルズ。その年のドラフトで末木は指名された。指名順位は4位。高校生ということもあり、「即戦力」という位置付けではない。数年後のレギュラーを目指してーー。球団も、ファンも、本人でさえもうっすらとそう感じで、「プロ野球選手・末木奏大」の物語は幕を開く。 末木がプロスカウトの目に留まり、ドラフトで指名される要因となった大部分は、守備の判断の良さ、そして肩の強さであった。'26年・ルーキーイヤー当時に二軍監督を務めていた横尾八雲も、「

          【選手記事】#1 多々良琉翔「もう1度、信頼される投手に」

          '24年、ドラフト1位で入団。1年目のキャンプでケガを負うも、ルーキーイヤーに先発として初登板・初勝利。期待された2年目だったが、再びケガを再発。3年目には育成選手となるも、4年目に支配下復帰すると、中継ぎ投手として一軍で活躍。41登板で14Hを記録すると、5年目に43登板28H、6年目には53登板34Hで最優秀中継ぎのタイトルを獲得。「一流」として軌道に乗った、と思われた。 背番号を入団時に期待されて背負った「16」に変更した7年目の'31年。この年新たに習得したカットボ

          【選手記事】#1 多々良琉翔「もう1度、信頼される投手に」